ものすごく単純化してみよう。
映画とは、ふたつのものの掛け合わせで出来る。
面白いシチュエーションと、
ストーリーである。
面白いシチュエーションは、
まだストーリーを全部見てない人にも、
面白さを一発で伝えることができる。
「これ、(まだ見てないけど)面白そう」と。
そして事実、本編中のそのシチュエーションのときは、
面白い。
あとあとそれを思い出したり、
他人と共有するときも、
そのシチュエーションが目印になる。
「巨大ザメが海水浴客を襲う」というのは、
70年代にスピルバーグがやったことだが、
もうそれだけで面白そうだし、
みんな真似するし、その後沢山の真似映画もあるし、
映画以外でも真似されている。
第一海水浴でネットがひかれていないと、
もうそこに巨大ザメがいるんじゃないかと恐怖すら覚える
(いたことないけど)。
それぐらい強烈に面白いシチュエーションを、
開発しなければならない。
「ヒーローが悪と闘う」のをあなたが好きだとしても、
同じことをしてはいけない。
まだ誰もやったことのないシチュエーションでなければ、
それはオリジナリティではない。
誰かの真似である。
(もっとも、誰もが真似して類似作品がたくさんあるのを、
「ジャンル」というのだが)
ただのヒーローものじゃダメなのはなんとなくわかるから、
「しょぼいサラリーマンが昼夜兼業でヒーローやってる」
「宇宙人が死んだ人間と入れ替わっている」
なんて「アレンジ」を加える作品もある。
しかし、アレンジは所詮アレンジだ。
何かに似ててちょっと違う、という程度のことである。
「面白いシチュエーション」というお題に、
答えきれている訳ではない。
どういう面白いシチュエーションなら、
面白いと思うのか。
ほとんどループだけど、ヒントはみっつある。
1. 似てたらダメ。「ここが違う」は、所詮アレンジ。
(見た目が全く変わっていたら、アリ。
たとえば「ジョーズ」は「激突!」の、
トレーラーを巨大ザメに変えただけなのだが、
全く違う作品だと認識されている。
つまりビジュアルをずらすといい)
2. 視覚に訴えるもの。
つまりは、面白いシチュエーションというのは、ビジュアルのことだ。
ビジュアルと関係しないシーンは、
いくら面白くても記憶に残りにくい。
(たとえばドラマ風魔10話の告白よりも、
項羽が白い羽を持っている方が、ビジュアル的に記憶に残る。
逆に言うと、告白が凄いビジュアルなら、
同じ台本でも記憶に残っただろう。
たとえば今思いつきで言うけど、
「風魔烈風で起こした枯れ葉の竜巻の中」とか。
実はドラマ風魔では、
原作のビジュアルは素直にやり、
原作に付け加えた部分は、特に面白いビジュアルにしなかった、
という計算がある。
それは車田先生への敬意も含む。
原作のビジュアルを越えずに、ビジュアル以外で勝負する、
という選択肢を僕は取ったのである。
例外:ギャグ。シンクロプールとか、崖落ちとかね)
3. 他人に言いやすいもの。
これはログラインというものに近い。
一文以内で伝えられる面白い象徴的シチュエーションがよろしい。
(逆に言うと、言葉に出来にくいものはダメ。
なぜなら、所詮わたしたちは、「言葉で考える」からだ。
「デッドプール」は、言葉に出来にくいから、
我々のイメージが曖昧に分散した)
面白いシチュエーションは、
「どうやったら、キャラを立てられるか」
ということに似ている。
他に似てないもの(被らないもの)、
それがビジュアルで示せて、
それを人に言葉でも伝えられるもの。
それが出来たらキャラ立ちするよね。
(小説ではどうかな。
小説内でもビジュアルはあり得ると僕は思っている)
さて。
どんなに面白いシチュエーションを作っても、
ストーリーがクソなら、映画はクソだ。
面白いシチュエーションと、ストーリーはかけ算だ。
足し算ではなく、一方が0なら0点である。
部分点はない。
逆に、ストーリーがどれだけ素晴らしくても、
面白いシチュエーションがないのは、クソだ。
記憶されないし、人に伝わらない。
最近の日本映画がクソ化してきたのは、
「新しいビジュアルをつくるだけの予算がなくなってきた」
からである。
だから、「キャストの違いがビジュアルの違い」
でしかなくなってきたのだ。
(最近の日本映画のポスターを見ればわかる。
キャストが並んでいるばかりで、
映画のシチュエーションではないではないか!)
安くても新しいビジュアルをつくることは可能か?
それを僕らは模索している。
なかなかうまくいかないけど。
一方で、ストーリーがクソならなんの意味もない。
たとえばペプシ桃太郎は、
ビジュアルに数億かけたが、なんの意味もない数億のうんこだった。
ただのビジュアル花火である。
(広告は花火にすぎない、という考え方もあるが)
どっちが変更が利く?
ビジュアルは、似た予算を再投入すれば再構築可能だ。
トレーラーを巨大ザメに変更すればいい。
ストーリーは、お金では変更出来ない。
絶対的な能力や才能が必要で、
それは理論の再構築のような大変さがいる。
お金がない、ビジュアルはショボく変更の余地もない、
脚本は色々な都合で変更されまくり、
才能が潰されている。
こうして、俯瞰すれば、
今の日本映画は破滅に向かっている。
(僕はゆゆしき事態だと思っていて、
ここで優秀な脚本家やプロデューサーを育てられれば、
と夢見ているが、たかがブログを読んだだけでそうなるわけもない)
俯瞰した状況は、まあどうでもいい。
あなたはそれをわかった上で、
面白いシチュエーション×面白いストーリーを作ればいいだけのことだ。
脚本添削スペシャル締め切りまで、もう少し!
2017年04月30日
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