2017年05月03日

映画=面白いシチュエーション×ストーリー4

じゃあ先にストーリーを思いついてしまったら?

それを、面白いシチュエーションに持ってこれないか、
考えてみるといい。


ストーリーがざっくり出来た時点で、
「そのストーリーを象徴する絵はどこか」
を探してみよう。

候補は、
最初に起きた奇妙な事件、
途中の山場のどこか、
クライマックス、
ラストシーンのどこかに、
大抵ある。

さて、それが地味な絵な時が、問題である。

その絵が地味ならば、
どんなに面白く、哲学的に新しく、
素晴らしい言葉に満ち、号泣したり爆笑するものでも、
記憶に残る映画にはならない。
「なんだか凄いよかったけど、
3日たったら忘れちゃった」
あるいは、
「凄いよかったけど、どう良かったか説明できない」
というものになりがちだからだ。

極端に言うと、ラジオドラマは記憶に残らない。
ラジオドラマを作ってる人に失礼かも知れない。
ラジオドラマすら、
記憶に残るのは、実は「絵が浮かぶ面白いシチュエーション」で、
なのであるというのが僕の仮説だ。



もし、どこの場面も地味ならば、
あなたの作品は目立たないどころか、
記憶に残らないものになり、
「ああ面白かった!そうそうあれがさあ」
と言われない。「あれ」に当たるものが、
面白いシチュエーションという絵だからである。

さて。

もし面白いシチュエーションがなかったら、
面白いシチュエーションに変換し直そう。
面白いシチュエーションを単独で思いつき、
あるいはどこかで拾ってあなたのストーリーなりにアレンジしてみよう。
一個強いやつが来るのがベストだけど、
技ありを何個か組み合わせて合わせ一本でもいい。

どこかで見たことのあるシチュエーションなら、
一捻り加えよう。
「屋上で告白する」なんて普通のシチュエーションが、
「給水塔の上で告白する」
「ジェットコースターの上で告白する」
「宇宙ステーションで告白する」
「スカイダイビング中に告白する」
などにならないかやってみよう。

常識にとらわれてはいけない。
必要とされているのは、常にぶっ飛んだ常識破りである。
「手術中に告白する」「殺人をしながら告白する」
「裁判の勝訴の途中に告白する」
「北朝鮮のミサイルで告白する」
「とりあえずビールふたつから告白する」
「告白の最中に告白する」
とりあえず何でも思いつこう。
頭は柔らかくもちたまえ。

どんなものでも構わない。100個ぐらい出せば、
何か面白いシチュエーションにぶち当たるはずである。
何かに似ていない、見たことのないものであればあるほど強い。
まさかこの発想はなかった、と思わせるものである。

これが出来るのは、
まだストーリーがざっくりしか出来ていない時に限る。
シチュエーションがストーリーに必然的に決まる前の、
まだストーリーが柔軟性を持っている時期にやるべきだ。、
単純に、もう出来上がってしまった話の、
シチュエーションをずらすだけならば、
そんなにうまいこといかない。無理や歪みが生じる。

逆に、強い面白いシチュエーションを思いつけたら、
それありきでストーリーを変形させられないか、
検討するのもいいことだ。
これについては、前記事のやり方を踏襲すればいいだけのことである。

それでストーリーの本質が変わるならば、
二本ストーリーが出来てラッキーだし、
ストーリーの本質が変わらずにそのシチュエーションを組み込めるなら、
本来の目的に合致する。
どちらにせよ、いいことしかないと考えたほうがいい。



面白いシチュエーションからストーリーを作るのと、
面白いストーリーに面白いシチュエーションをくっつけるのは、
どっちが難しいだろう。

得意不得意が、僕は人によって異なると考えている。
だから、複数の人が集まる脚本打ち合わせは、
段取りが逆の人だと、壊滅的になってしまうと考える。
プロデューサーは前者だ。落ちなんて知ったことか、と考える浅はかが多い。
監督は後者だ。落ちこそストーリーだと考えている。
どちらから作っていくべきか、
まず大きな段取りを決めないと、
ストーリーから作るのかシチュエーションから作るのか分からなくなり、
話し合いは延々ループして、あとにペンペン草も残らなくなる。

(かつてのCM企画打ち合わせは、
これを一ヶ月ぐらいやっていた。
あらゆる可能性が検討され、
その結果恐ろしく練られたものが沢山世に出た。
面白いシチュエーション×面白いストーリーが、
沢山練られたわけだ。
しかしこれは15秒30秒だから出来たことだ。
二時間のものにこれをやってたら、きりがない)


ストーリーを作るときは、
ざっとした骨格まで作ってから、
事件や人物や舞台などを入れ換えて、
よりイコンになりやすいものに、
するべきである。
そうすると、シチュエーションとストーリーのギャップが生きてくる。
こういうストーリーなのにこういうシチュエーション、
こういうシチュエーションなのにこういうストーリー、
という意外な組み合わせが、オリジナリティーになる。

詳細を最初から詰めると、
こういう変更が出来なくなる。
「頭から書きはじめて最後まで書いたときが完成」ではない。
書く前に、作る段階が沢山あるのだ。
posted by おおおかとしひこ at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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