2017年05月14日

トラウマがあると、その年齢の自我が分離されるらしい

だから私たちは、特定の年齢のころを、
書こうとするのかも知れない。


どうして子供の頃の話を書くのだろう。
おっさんなのに。
どうして高校生の話を書くのだろう。
おっさんなのに。
どうして大学生や社会人一年生の話を書くのだろう。
おっさんなのに。

トラウマがあると、その年齢の自我が分離される、
という心理学の仮説を聞いて、
ものすごく腑に落ちた。


ひどい場合は、
解離(多重人格)になるのだろうけれど、
解離にまで至らなくとも、
「子供の自分」や「14歳の自分」などが、
自分の中に分離されて保存されて、
時々その自分が何かを思ったり、感じたり、
言いたくなったり、行動したくなったりするのだろう。

で、実際はそういうことは出来ないから、
架空の世界で何かをするのかも知れない。

トラウマがあるからそういうことをしたくなる。
だから、そのトラウマを癒すハッピーエンドが最適なんだ。

あるいはバッドエンドは、
どうやっても癒せないことを知っての、
自傷行為かも知れない。

過去にうまくいかなかったことをどうしても書きたいんだけど、
どうすればうまくいくのか分からなくて、
うまくハッピーエンドに導けなくて、
バッドエンドで諦めたり、
ストーリーが挫折してしまうのかもしれない。

あるいは、うまくいく方法が分からないから、
ただ癒してほしいだけの、
メアリースー的物語を書いてしまう。


これが、私たちの心の中でほんとうに起こっていること、
のような気がします。



私たちの心は傷つく。
傷ついて、自動修復するけど、
完全にもとに戻らない修復もある。
それが、
作家を作家たらしめている原因であり、
うまいハッピーエンドが作れない原因かも知れない。

だからこそ。
作家たるもの、
自分を書かないことだ。

うまくいくはずがない。
過去の自分がどうすればうまくいくのか、
分かったときは書いてもいい。
リアリティー溢れて取材すれば、
きっとその傷を癒すだけの成功物語になるかもだ。

しかし、なかなかそうはいかないだろう。
どこかでメアリースーに追いつかれ、
ご都合主義を採択してしまう。
だってトラウマが辛いからだ。
無意識に、ただ癒されたいと思っているからだ。

作家たるもの、
自分を書かないことだ。

他人を書くこと。
他人の失敗と成功ならば、
冷静に妥当な範囲を見積もることはできる。
そら失敗するわ、
それは成功するだろう、
という理屈の見極めがつくはずだ。


そこまでストーリーを作っておいてから、
あなたの魂(トラウマに関わること)
を埋め込んだとき、
理屈は正しく、あなたの傷を癒すだけの、
成功物語が、書けるかも知れない。


あなたは、
トラウマによって分離された、
とある年齢の自分を癒したい。

そういう無意識が、あなたの原動力の可能性がある。


なんと因果か。



で。


それは、書こうとする人だけでなく、
見る人もそうだということではないかなあ。

特定の年齢の話がとくに受けるのは、
その年にトラウマを受けた人が多いということ。
小学校の引っ越し、ペットの死、
初恋や思春期や性の目覚め、
初体験、受験、大学時代、
社会人になって一人前になるまで。
あるいは、一時のアメリカ映画が全部ベトナム戦争がらみになったこと。


これらが受けるのは、
そういう「分離された年齢の自我」を持つ人が多いからかも、
知れないね。

あるいは、
恋の話が受けるのは、恋に傷ついた人が多いからなんだ。


響く物語、というのは、その年の自我が、
沢山いることに関係しているかも知れない。
だから、リアル年令でマーケティングするのなんて、
なんの意味もないんだ!


成功物語が見たいのは、
「傷ついた失敗が、成功で癒されたい」という、
深層心理が関係している気がする。
カタルシスとは、そういうことかもしれない。
疑似体験による心の昇華、
代償行為って、
そういうことだ。

疑似体験だから、
似ていればなんでもいいわけだ。
そのものズバリでなくていい。
つまりそれは、僕がずっと分析してきた、
感情移入の原理と全く同じってことだ。


なぜ私たちはストーリーを見たいのか。
なぜ私たちはストーリーを書くのか。

その答えのひとつが、明らかになってしまった。


つまり短く言うと、
「今度はうまくいきたい」
ということが、
人を動かすのではないだろうか?



心に響く成功物語を書き、
それに流行のガワを被せれば、
つまりはいっちょあがりなのだ。

これ、このブログの結論かもしれない。

いや、じゃあどうすればいいかについては、
まだ書くことはあると思うけど。


(俺は多分脚本がうまく書けなかったトラウマで、
ここを書き続けているのだろうか。
そうなのかもなあ。呪いか。
今度うまくいったら、
俺はここを書かなくなるということか?
先生はなぜ理想を語るのか、
人生がうまくいかなかったからだ、
ということに似ているのかも知れないぞ)
posted by おおおかとしひこ at 13:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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