前記事のつづき。
だから、リア充は脚本を書かない。
だから、リア充は本を読んだり映画を観たりしない。
だから、マーケティングの方法論は間違っている。
マーケティングは、
数字の出る、リア充の行動を追っかけているからだ。
映画や小説が「エンタメ」とか急に言い出したのは、
リア充をマーケティングする、ということの宣言でもあったのだ。
SNSから抽出するビッグデータだろうが、
アンケートなどから抽出する統計データだろうが、
マーケティングが捉える「市場」というのは、
アクティブな行動を記録している。
それって、要するにリア充のことだ。
外に記録として残り、
活発にSNSにあげるようなやつらだ。
我々は、サイレントマジョリティだ。
リア充なんて数としてはマイナーだ。
マーケティングの方法論はリア充を追跡している。
小説や映画のストーリーは、リア充には響かない。
だから今、小説や映画がマーケティング的に売れない。
とても簡単なことで、
今なぜ小説や映画の本質を知っている人が、
売れないことに首を傾げ、
商売側の人間(リア充)が、小説や映画は売れないですよ、
なんて本質も知らずに言っているのか、
解明できたような気がする。
サイレントマジョリティや、心のトラウマのことは、
統計で掬いとることができない。
マーケティングはリア充しか記録せず、
それを「見える市場」と考えている。
最初からずれているんだ。
僕は、素晴らしいストーリーが、
ちゃんと売れて欲しいと思っている。
芸術的にも金銭的にも報われてほしい。
しかし、
(現行の)マーケティング理論は、
素晴らしいストーリー(リア充でない人々に響くもの)を、
最初から追っかけていない。
そこは暗黒大陸扱いだ。
現行のマーケティング理論を修正するか、
マーケティングを正義と思わないことこそ、
素晴らしいストーリーが世に出る方法なのかもね。
かつては、
唸るほど金を持つ傷ついた王様が、
映画に金を出していた。
王様は一代限りでいなくなる。
王様の感性を持たない、
マーケティング理論だけで考える見える市場しかないやつらが、
金を動かしている。
MBAと、バカのやることだと俺は思っている。
それは、工学修士を持つ身だからわかる。
修士号や博士号は、関係ないよ。
出来たものの出来で、決まるんだよ。
ここにたどり着いた商売人がどれだけいるか分からないが、
俺と組もうぜ。
2017年05月14日
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