「完成直前になって、これでいいのかと不安になり、
全く別のアイデアを思いついて台無しにしてしまう、
不安現象」
というのを、こう呼ぼう。
「結婚直前になって、この女でいいのかと不安になり、
全く他の女を抱いてしまう、不安現象」
なるマリッジブルーと、
多分同じ機構だ。(他の女を抱くかどうかはしらない)
なぜそのような不安が起こるかを考えよう。
それは恐らく、完璧を期待しているからではないか?
最初の奇跡のような思いつきに、
現状が追いついてなくて、
もっとよくなるはずだという、
それは悪あがきなのではないだろうか?
経験上、
最初の素晴らしい思いつきを、
途中の思いつきが越えることはない。
越えるときは、
全く別のものに最初から作り直すときだけだ。
解体して一部を使うのは出来ない。
経験上、一から書いたほうがスッキリしたいいものが出来る。
だから、まず最初の思いつきを、
フィニッシュしてしまったほうが、
次の思いつきを一から作ることが出来る。
もしその女と結婚したとき、
(添い遂げるのを前提としたら)
完璧な人生を送れないかも知れない。
その完璧でないことの不安が、
マリッジブルーだと僕は思う。
他の女のほうがもっと完璧なんじゃないか、
もっと俺に合う女がいるんじゃないか。
破れ鍋と綴じ蓋のように、ぴたりと合う運命が。
それは、完璧でないことの、
無い物ねだりの不安である。
あなたは完璧でないし、その女も完璧でない。
しかし、これから完璧であろうとすることは可能である。
あろうとしたって失敗するし、
あろうとしないこともあるし、
あろうとしないで完璧になることもある。
それは、(添い遂げるとすれば)死ぬときにしか分からない。
失敗だったら、それはそれで、
来世にうまくやればいい。
幸い、結婚と違い、来世はすぐにやって来る。
書き終えたその直後にである。
書き終えたら、次の日から来世だ。
次はうまくやればいいだけのこと。
何度も何度も輪廻をして、よりよき完璧に近づく。
そんな感じだ。
今世は今世を全うしよう。
その覚悟が、
マリッジブルーもフィニッシュブルーも打ち砕いて、
今目の前にある今世を、素晴らしく終える方法のはずだ。
もちろん、間違った女に取っ捕まることもあるし、
間違えたテーマやモチーフやストーリーラインで勘違いすることもある。
マリッジなら大変だけど、
作品ならとっとと死ねばいいのだ。
フィニッシュブルーは、
つまりは自信のなさから来ている。
それが大した出来ではなくても、
来世をより良くしようと思えば、
切り替えもうまくいく。
せめて今世をちゃんとまとめに入ればいいだけだ。
これはこれで、まあいいね、というレベルにね。
他の女を抱いても、朝に思いついた別のアイデアも、
実際は今世を幸せにしないんだね。
万が一するかも知れないので、
落ち着いて両方を同じ立場で冷静に考えられるときのみ、
比較検討すればいい。
しかし人間は隣の芝のほうが青く見えるので、
たいていは隣の芝のほうが青いと勘違いする。
現実的には、元にもどったほうがいい。
もちろん、青い芝の所へいってみたら、
対して青くなくて、元の芝が良かったとなる確率が高い。
いや、やはりこの芝のほうが青いと思ったら、
そこが来世かも知れない。
自分の判断力が、ふわついて鈍っているかを、
マリッジブルーやフィニッシュブルーのときは、
確認した方がいい、という話。
というのも、
今朝カタナ式をさらに改良する方法を思いついたのだけど、
試してみたらそうでもなく、これはフィニッシュブルーである、
なんて自覚してみたわけだ。
こないだはてんぐ探偵を台無しにするアイデアに頼りそうにもなったし、
全く、自分の自信のなさと付き合うのは大変である。
2017年05月14日
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