面白いとはなんだろう。
私たちはそれを書くのだが、その正体はよく分からない。
しかしややこしいのは、
「面白い」の概念には、
「面白そう」という未来への期待と、
「面白かった」という過去への評価の、
二種類が混在してしまうことである。
これから一体どうなるんだろう、
とワクワクした期待をするとき、
我々はこれを「面白そう」と思い、
現時点では「面白い」という感情が支配する。
途中で面白くなくなったとき、
「最初面白いと思ったが、
ちょっと微妙になってきた」と思うのだが、
「あの『面白い』を取り戻してくれたら、
また面白くなるだろう」と期待して、
「一応面白い」という感情が支配する。
その期待を下回り、いつまでたっても面白さを取り戻さないなら、
「やっぱ面白くない」になっていく。
途中で盛り返したら、
「やっぱ面白い」「途中でだれたが復活した」
となる。
しかし、まだ途中なので、
この面白さの正体は、
「面白そう」「面白いものになりそう」という、
未来への期待だ。
逆に、「最終的に『面白かった』と思えるものになることが、
今後期待出来ない」とき、
我々は「面白くない」という。
さて、完結したとする。
本当に面白かったのなら、「この作品は面白い」と、
最終評価が下される。
最後が面白くなかった、
どこかで思った「面白そう」の期待に応えられなかったら、
「この作品は面白くない」と、
最終評価が下される。
ところが、人間というものは、
自分の判断を間違ったことを認めたくない
(認知的不協和)。
だから後者を、
「途中まで面白かったが、ラストでこけただけ」
という、「面白かった」評価にいれがちだ。
つまり何が言いたいかと言うと、
冒頭で面白いと思われたら、
大体は面白いという評価になってしまう、
ということ。
そのあとがよほどダメにならず、
最初の「面白そう」に肉薄する面白さを何回かやれば。
つまり。
姑息に考えれば、
あとあとのことなど考えず、
冒頭に物凄く「面白そう」という前ふりだけしておけば、
あとは大体「面白い」という評価になってしまう、
ということ。
冒頭でかませば、「面白い」を操作できる、
ということ。
それが本当に面白いかどうかはおいといて、
「面白そう」という最初のヒキだけで、
姑息的にはなんとかなるということ。
僕は、作品の面白さとは、
テーマの面白さとモチーフの関係の面白さという、
骨格そのものの面白さを絶対的ベースとして、
キャラクターの面白さや世界観の面白さや、
台詞の良さやテンポの良さなどといった、
ガワの面白さがさらに拍車をかけるような、
全てが完璧なパーツとして生き生きと機能していることだと考えている。
たとえば最近では「ズートピア」にその完璧さを見た。
しかしそれは、
最後まで完結したときに、はじめて分かることかも知れない。
勿論、ほんとうに面白いものならば、
最初から最後まで面白いのだから、
深く考えずに最初から面白いものを選べばよいのだ、
という経験則はある。
だけど、
冒頭が難しいのは、書き手なら誰でも知っていることだ。
だから、冒頭が面白くなくても、
途中から面白くなってくることは、
沢山ある。
(そのときに冒頭を書き直せるのならベストだね)
問題がややこしいのは、
そうやって冒頭でしくじったけれど、
最終的には面白いものは、なかなか評価されないことと、
冒頭でかましさえすれば、
最終的には面白くなくても、
面白いのジャンルに入れられてしまうこと。
それは、「面白い」の中に、
「面白そう」と「面白かった」が、
混在して区別されていないからではないか、
と思った次第だ。
最終的には面白くなかったのに、凄い面白そうと思った、
そういう詐欺が横行しやすいということだ。
たとえばまだ言うけど、「ガンツ」ね。
「アキラ」も。
じゃあさ、
冒頭だけぶっ飛んだ「面白そう」を描きな。
それで詐欺れるぜ。
あるいは、
ちゃんと最後まで「面白かった」と言えるものを構築した上で、
「面白そう」な冒頭から入りなさい。
どちらも、第一印象は同じだ。
僕は後者を勧めるが、
前者で儲けて逃げる手もある。
で、最近のマンガってさ、
前者で儲けてるんじゃないかなあって、
ちょっと思うんだ。
引き延ばし引き延ばしということはよく知られたことだけど、
それでなんになるのか、なんてどうでもよくて、
「面白そう」だけ振り撒いて、
責任を取らなくてもいいんじゃないか、って思われてないか?
デスノートを読んだときにそう思った。
アキラのときは、完結しようがないのかもなと思った。
ナウシカのときは、ほんとにこのラストでいいのかと思った。
ドラゴンヘッドのときは、腹が立った。
ガンツのときも、「変」を知ってたから、またかよと思った。
ファイアパンチは、どっちだ。
僕は冒頭詐欺だったなあと思いながら、
最後まで付き合おうとしている。
マンガは、完結するまでが商売。
映画は、完結作品全体で商売。
その差は勿論あるけれど、
僕はストーリーの価値は、
完結してはじめてあると考えている。
(だからマンガは、ストーリーが第一ではなく、
キャラクターが第一と言われるのかも知れない)
2017年05月15日
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