ということに慣れていない限り、
本当は構成など出来ないのである。
575の17字で書ける内容。
140字で書ける内容。
400字で書ける内容。
1万字で書ける内容。
48000字で書ける内容。
自分はどれくらいのボリュームを、
どれくらいの密度で書けるのか?
他人は、
どれくらいのボリュームを、
どれくらいの密度で書いているのか?
数字で密度とかボリュームは示せないから、
何文字、何分ということだけが、
参考資料になる。
僕はかつて、
名作映画10本ぐらいの全シーンの分数を調べ、
一覧表にして勉強したことがある。
自分で書いているときも、
これは○ページで書いているのかと確認したり、
予想したり、予想が外れたときは何故かと考えている。
正確に予想できるのか?
正確に実行できるのか?
それが出来なきゃ、○ページとか、○文字で、
なんてものは、なんの基準にもならない。
あなたは、そのストーリーを何ページで書くのか?
各ブロックは何ページずつか?
どんなボリュームをどんな密度で書くのか?
そのページ数のタイムスケジュールを、
(くどいようだけど)構成というのだ。
つまり、構成が出来てるかできてないかは、
ページ数の読みも込みで、はじめて判断できるのである。
○ページのつもりだったけど、
書いてみたら大幅に違った、
なんてやつは、
構成なんてやってもやらなくても同じだ。
構成なんて所詮最初の大まかな地図に過ぎないなんていうやつは、
正確に○ページを見積もれず、
自分のパフォーマンスを○ページに換算できない、
無能なのである。
構成はもっと厳密なものだ。
頭のなかにあるレシピと分量のセットのようなものだ。
その通りやって、その通りに出来なきゃ、
そもそも構成なんて、練る意味はない。
何文字で何を書く?
それがわかるのは、膨大な経験をして、
はじめて得る感覚である。
そしてそれがないと、
そもそも設計図など書けない。
構成について教える教科書は多い。
でも教える人は、そういう感覚が鍛えて備わっているから、
そういう感覚がない素人の感覚を、わからなかったりする。
もしあなたがそういう感覚がないのなら、
大体予測がつくまで、
何度も何度も、出来るだけいろんな話を書くことだ。
そういうのを習作というのだよ。
デッサンを毎日する画家のように、
話を毎日作ればいいのである。
もちろん、デッサンは発表しない前提だから、
その習作も発表しなくていい。
落書きノートだと思えばいいのだ。
アイデアノートや習作ノートは、
そうやって使うといいだろう。
(オススメは、アナログのノートである。
デジタルでは自由なレイアウトが出来ない。
デジタルがアナログに勝るのは検索だが、
そもそも習作は検索する必要はない。
自由に書くには、アナログがよい)
書き散らしては放っておく。
かつてCMの企画で一人前になるには、
段ボール二箱書き潰す必要があると言われた。
そして僕はそれをやった。
やってないなら、やっといて損はない。
一人前になるには、
結局「ここから先は自分一人でも出来る」
という範囲を、増やしていくしかないと思うのだ。
2017年05月15日
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