2017年05月17日

他人の納得を自分の中の納得に取り入れる

前記事からのつづき。

もちろん、失敗して間違いを認める、
いわば反省みたいな変わり方以外にも、
沢山人の変わり方はある。

他人の考えに影響されるパターン。


人は完璧ではない。
だから知らないこと、誤解していること、
先入観でデフォルトにしてしまっていることが、
沢山ある。

もし知らない領域の、
うまい考え方や仕組みを知ったら、
自分に取り入れようと思うことが、よくある。

最近僕が取り入れた考え方は、
腱鞘炎の治療は腕を肩より上にあげるとよい、
というやつだ。

小さなことではライフハック的な技みたいなものだろう。
中くらいのことでは、
たとえば「笑っているほうが取っつきやすいから、
しかめっ面をしないで笑っていると、
幸せを他人が持ってくる可能性が増える」
みたいな考え方だろうか。

笑顔についてあまり考えたことがない人なら、
そうかと思って取り入れることは、ありそうだ。


しかし大事なことは、
たいして効果がなかったら、すぐ元に戻るということだ。
ダイエットの三日坊主などを考えれば、
すぐに想像がつく。
どれだけなるほどと思っても、
現実はそんなものである。
たとえ効果があると分かっていても、
ビリーズブートキャンプなんて本気を出すのは、
何ヵ月も無理だろう。

つまり、人生とは、
何かを取り入れては吐き出すことの繰り返しだ。
この中で特別自分に合っていたことだけを残し、
他は三日たてば影響から免れるのである。

そういうものの積み重ねが、
その人の人生観や哲学や信念などを、
形作っていくのである。

だから、そうそう人が考え方を変えるのはないのだ。

子供や未経験者ならいざ知らず、
ある程度やってきたら、
それなりの一家言があるはずだ。

それが、大きくねじまがるほどの体験を描くのが、
物語的体験だ。



すぐ他人に影響を受ける人もいるし、
人の言うことを聞かない人もいる。
納得するまで人の言うことを試さない人もいるし、
いいって言うんだからやってみればいいや、と、
よく納得してなくて始める人もいる。

それぞれは、それぞれの納得の範囲で、
動いているわけだ。



物語が始まる時点での、
各登場人物の納得や人生観とはどんなものだろう。
どんな違う人とかかわり合うのだろう。
それはどのように反発して、
どのように受け入れるのだろう。
その時、その人はどう変わるのだろう。

主人公一人ではなく、全員についてこのような変化を考えないと、
辻褄は合わなくなる。つまりご都合になる。
一回で変化をするのではなく、
段階的に変化していく場合もある。

人嫌いの男が、玄関までは入ることを許す、みたいにね。


人は影響を与えるし、与えられる。
それは一時的だし、元に戻る。
元に戻る前に次の変化のきっかけを持ってくると、
連続的に変化していく。
感情が伴えば余計にだ。

他人がどう納得しているのだろう。
たとえば同僚に、どうしてこの会社を辞めないのか、
聞いてみるといい。
彼なりの納得を聞くことが出来るだろう。
影響を受けるか受けないか、
ドラマの種になるかは、しらない。


難しいのは、
自分の話を書いてはいけないということ。
客観性を失うからである。

他人が他人の考えに影響される、
という様を面白く描くのが、
三人称であるシナリオであるからだ。
posted by おおおかとしひこ at 13:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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