前記事からのつづき。
もちろん、失敗して間違いを認める、
いわば反省みたいな変わり方以外にも、
沢山人の変わり方はある。
他人の考えに影響されるパターン。
人は完璧ではない。
だから知らないこと、誤解していること、
先入観でデフォルトにしてしまっていることが、
沢山ある。
もし知らない領域の、
うまい考え方や仕組みを知ったら、
自分に取り入れようと思うことが、よくある。
最近僕が取り入れた考え方は、
腱鞘炎の治療は腕を肩より上にあげるとよい、
というやつだ。
小さなことではライフハック的な技みたいなものだろう。
中くらいのことでは、
たとえば「笑っているほうが取っつきやすいから、
しかめっ面をしないで笑っていると、
幸せを他人が持ってくる可能性が増える」
みたいな考え方だろうか。
笑顔についてあまり考えたことがない人なら、
そうかと思って取り入れることは、ありそうだ。
しかし大事なことは、
たいして効果がなかったら、すぐ元に戻るということだ。
ダイエットの三日坊主などを考えれば、
すぐに想像がつく。
どれだけなるほどと思っても、
現実はそんなものである。
たとえ効果があると分かっていても、
ビリーズブートキャンプなんて本気を出すのは、
何ヵ月も無理だろう。
つまり、人生とは、
何かを取り入れては吐き出すことの繰り返しだ。
この中で特別自分に合っていたことだけを残し、
他は三日たてば影響から免れるのである。
そういうものの積み重ねが、
その人の人生観や哲学や信念などを、
形作っていくのである。
だから、そうそう人が考え方を変えるのはないのだ。
子供や未経験者ならいざ知らず、
ある程度やってきたら、
それなりの一家言があるはずだ。
それが、大きくねじまがるほどの体験を描くのが、
物語的体験だ。
すぐ他人に影響を受ける人もいるし、
人の言うことを聞かない人もいる。
納得するまで人の言うことを試さない人もいるし、
いいって言うんだからやってみればいいや、と、
よく納得してなくて始める人もいる。
それぞれは、それぞれの納得の範囲で、
動いているわけだ。
物語が始まる時点での、
各登場人物の納得や人生観とはどんなものだろう。
どんな違う人とかかわり合うのだろう。
それはどのように反発して、
どのように受け入れるのだろう。
その時、その人はどう変わるのだろう。
主人公一人ではなく、全員についてこのような変化を考えないと、
辻褄は合わなくなる。つまりご都合になる。
一回で変化をするのではなく、
段階的に変化していく場合もある。
人嫌いの男が、玄関までは入ることを許す、みたいにね。
人は影響を与えるし、与えられる。
それは一時的だし、元に戻る。
元に戻る前に次の変化のきっかけを持ってくると、
連続的に変化していく。
感情が伴えば余計にだ。
他人がどう納得しているのだろう。
たとえば同僚に、どうしてこの会社を辞めないのか、
聞いてみるといい。
彼なりの納得を聞くことが出来るだろう。
影響を受けるか受けないか、
ドラマの種になるかは、しらない。
難しいのは、
自分の話を書いてはいけないということ。
客観性を失うからである。
他人が他人の考えに影響される、
という様を面白く描くのが、
三人称であるシナリオであるからだ。
2017年05月17日
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