映画がちょっとだめになってきている感じがする。
テレビはもうだめだろう。
ネットはどうだろう。
色々仕事をしていると、
「それはリターンを見越した投資に値するか」
みたいなことが最近よく言われるようになった。
え?投資ってそういうことなの?
映画は博打だと昔から言われてきた。
無茶苦茶なことをするから、
無茶苦茶なエネルギーが生まれて、
それがブームという熱や渦をつくった。
リターンとかコストとかを度外視しないと、
そういう渦や熱は生まれない。
なぜなら、
娯楽とは熱を楽しむものだからだ。
お金の為に最適化されたものなんて、
誰も興味ないよ。
そんなこと関係ない、べらぼうな情熱に、
人は感動したり心動かされたりするんだよ。
またバカなことやってるぜあいつら、飽きねえなあ、
と思われないとダメなんだ。
成功するまでその熱を続けることを、
創作の人生というのである。
ところが。
なんだか映画や映像は、
最適な投資案件みたいなことになってきた。
コストとかパフォーマンスとかリターンとかだ。
それは、映画や映像の本質とはずれている。
何故ユーチューバーやニコ動が受けたんだ?
べらぼうな無駄な情熱の空回りが、
そこにあったからだろう?
受けるということはそういうこと。
投資とか回収とかは、
情熱の空回りが受けるということを、
まるで考えていない。
僕は経済学部ではないので、
投資の理論は分からない。
しかし創作のべらぼうな情熱の空回りや、
それが受けるということを、理論の中に入れてないのだとしたら、
投資の理論は不完全だと僕は思う。
投資部門は勝手に原作の実写化とか永遠にやってろ。
なにも知らないやつが勝手にやって勝手に爆死してろ。
情熱の空回りを続ける者だけが、
どこかで閾値を越えて皆に認められるように、
商売を回していきたいものである。
ところで。
投資をした者の名前を調べることは出来るのかな。
製作委員会に名を連ねている人ではなく、
たとえば銀行などの金融担当者。
つまらない実写化をしては爆死を繰り返すそのバカたちの、
リストをつくってみたい。
投資のことはよく知らないが、
投資にも優秀な投資とバカな投資があると思う。
バカな投資しか、映画には行われていなかったと断言する。
バカな投資が、映画をだめにしている。
製作費がリターンの期待値になってる時点で、
それは間違っている。
製作費は、
空回りする情熱に比例すべきだ。
無限の住人の製作費と投資の状況、
回収の状況を見て、
何も感じないやつは、
映画界に来ないほうがいいんじゃないか。
(そもそも無限の住人の情熱の空回りは、
ストーリーより絵だったろうに)
2017年05月19日
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