2017年05月19日

全体を一枚の紙に書くこと

これさえ出来れば、
構成なんて出来たも同然だ。
しかしこの一枚がなかなか完成度が低いから、
結局うまくいかない。


書く前に構成をきちんと作ることは、
原理上出来ないと思う。
それは、
生まれる前に「私はこういう人生を送ります」
と計画書を提出し、その通りに生きることと同じだ。

そんなにうまくいくはずはないし、
その通りに成功するとも保証できない。
(僕はこれが投資という仕組みが間違っていると考える根拠だ)


しかし、地図がないとストーリーはまず間違いなく路頭に迷う。
これは経験的に体験してる人は知っているだろう。
路頭に迷って死んだことのある人は、沢山いるだろう。
路頭に迷ったときの脱出法はリアルと同じで、
「こっちだ!」と勘ですすむことだ。
そのときに偶然元のルートに戻れるか、
全く別の新しい目的地が生まれるかは、
その時次第で、それもほとんどリアルと同じだと僕は思っている。
つまり、リアルで路頭に迷ってもなんとか目的地につける人は、
多分ストーリーで路頭に迷っても、なんとかするのが上手いと、
僕は考えている。(統計はとっていない)

僕はそういうときには、
ルート以上の地図を調べて、
複数のルートを理解してから挑むことを、
リアルでやってきたので、
多分ストーリーを書くときも同じだ。


全体を一枚の紙に書くときも、
その問題の周りにあることを全部書かないと、
そのルートがいいぞと思えないような気がする。
(逆にその段階で確認していれば、
実質の迷いなんてほとんどない)

つまり、事前の地図の書き方は、
リアルで地図と付き合うようにせよ、
ということである。

その前に、リアルで路頭に迷って目的地につくような、
経験を沢山するべきだ。
スマホ片手にしかたどり着けないやつは、
ストーリーを書くときにも誰かのガイドがないと出来ないのかも知れない。



結論だけ先に言っておくと、
地図の書き方は、
自分が迷ったときに脱出しやすく書いておく、
ということである。
つまり、自分が路頭に迷うことを想定して、
自分が脱出出来るように、
地図は書かれるべきである。
つまりそれは、何度も失敗して、
自分なりに練っていくしかないというのが答えだ。



とはいえ、誰かのやり方は参考になるだろう。

ブレイクシュナイダーの「ボード」は、
知らない人にとっては強力な地図になる。
4列10枚のカードに、一行書いたものを並べて考える方法だ。
1列が30分(1幕、3幕、2幕前半、後半)に相当する、
というのも直感的でいい。
これのいいところは、
案外漏れが多いなあ、ということを気づかせることである。

しかし、うまく一行に書けるという保証がないと、
この方法はうまくいかない。

カードには一行で書いたことが、
実際には何十ページに膨らむことだってある。
そうすると全体の構成が大事なのか、
その面白い部分を大事にするべきか、
分からなくなってくるのだ。
原則は、いつもログラインに戻ることで、
それに相応しい構成かどうかで判断するべきだ。
ログラインを変更すると、全部が狂ってくる。
だからログラインの変更は、もう一本作るような労力が必要である。

逆に、何枚ものカードを使うようなことが、
たった一行の台詞で済むこともある。
これも構成が変わってしまう。

凝縮されたものを薄めても詰まらなくなるだけなので、
構成がえを余儀なくされるわけだ。

だから、カード単位で構成を考えることは、
万能でないと知っておくことだ。
僕は昔はカード法を使っていたのだが、
上で書いたようなことが多くて、
カードによる構成法は精度が悪いと感じた。

大掴みに考えるにはちょうどいいのかも知れないけれど、
大掴みの精度が悪いと。

これは、シドフィールドのカード法でも同じである。
シドフィールドは15分を7枚のカードで構成するだけで、
違うのは枚数だけだ。

日本のハコガキも大体同じ。
8行×4だっけ。流派によっていろいろある。

枚数が違うだけで、
基本的にはカード法のパラダイムであるわけだ。



ちなみに僕の方法。

白紙にフリーで書いていく。
思いついたことすべて。
紙の端と端を矢印で繋げてもいいし、
消してもいい。消すのは×をつけるだけで、文字としては残しておく。
紙がいっぱいになるまでやる。

一杯になったら白紙をもってくる。
前のものを見ずに、アイデアの核と思えることを中心に書く。
複数あることもある。
あとはストーリー構成を、箇条書きでその周りに書いていく。

一杯になったら白紙をもってくる。
前のものを見ずに、ストーリーを箇条書きで書いていく。
アイデアを思い付いたら横にかき、
必要とあらば矢印などでつなぐ。

これを何度も繰り返す。
そのうち、ひとつのストーリーを白紙に書けるようになる。
それが、僕の地図になる。

一旦完成地図を作ったあとに、
これまでの何枚もの埋まったやつを見て、
捨てたけど復活させたいやつをサルベージすることもある。

これを、何日もかけてやる。
寝て忘れるのもコツだ。

寝て起きて、白紙をもってきて、
そこに今頭のなかにあるストーリーを、
一からメモしていく。
前のを見ずにやることで、
毎回初めてそれを見る人の立場から、
書いていくことが出来る。

これはプロットを部分リライトすると、
なぜかいびつになることから来た、
それを防ぐ経験的な方法だ。

自分で飲み込んでいることを、
整合性があるように一から吐き出すには、
こうやって白紙に書いていくのがよい。


僕が地図が出来たな、
と思うのは、この最後のほうの段階ではなく、
そろそろこのぐにゃぐにゃのやつを、
整理して一から書いてみようかな、
と思うときの段階の一枚である。

そこには、自分の情熱や閃きが記録されている。
あとは、それを一枚の地図に「まとめる」だけでよい。

まとめるプロセスで、
足りなかったことや過剰なことに気づいて、
段々と全体が整っていく。
そのとき半分法やログラインを使って、
尺を大体整えておく。
そこまでできて、ようやくプロットととらえている。


CMなら数枚、映画なら数十枚、
こういうことをやっている。


壷の中の牛乳に放り入れられたカエルは、
足をじたばたさせるうちに発酵が進み、
ついにはチーズになって、
それを足場にジャンプでき、脱出できたという。
そういうやり方かも知れない。

そこに合理やハックはないと思う。
創作とは、そこまで考えやアイデアを煮詰める行為だと、
僕は考えている。
つまり僕にとっての地図とは、
そこまで整理された地図のことである。
posted by おおおかとしひこ at 12:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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