これさえ出来れば、
構成なんて出来たも同然だ。
しかしこの一枚がなかなか完成度が低いから、
結局うまくいかない。
書く前に構成をきちんと作ることは、
原理上出来ないと思う。
それは、
生まれる前に「私はこういう人生を送ります」
と計画書を提出し、その通りに生きることと同じだ。
そんなにうまくいくはずはないし、
その通りに成功するとも保証できない。
(僕はこれが投資という仕組みが間違っていると考える根拠だ)
しかし、地図がないとストーリーはまず間違いなく路頭に迷う。
これは経験的に体験してる人は知っているだろう。
路頭に迷って死んだことのある人は、沢山いるだろう。
路頭に迷ったときの脱出法はリアルと同じで、
「こっちだ!」と勘ですすむことだ。
そのときに偶然元のルートに戻れるか、
全く別の新しい目的地が生まれるかは、
その時次第で、それもほとんどリアルと同じだと僕は思っている。
つまり、リアルで路頭に迷ってもなんとか目的地につける人は、
多分ストーリーで路頭に迷っても、なんとかするのが上手いと、
僕は考えている。(統計はとっていない)
僕はそういうときには、
ルート以上の地図を調べて、
複数のルートを理解してから挑むことを、
リアルでやってきたので、
多分ストーリーを書くときも同じだ。
全体を一枚の紙に書くときも、
その問題の周りにあることを全部書かないと、
そのルートがいいぞと思えないような気がする。
(逆にその段階で確認していれば、
実質の迷いなんてほとんどない)
つまり、事前の地図の書き方は、
リアルで地図と付き合うようにせよ、
ということである。
その前に、リアルで路頭に迷って目的地につくような、
経験を沢山するべきだ。
スマホ片手にしかたどり着けないやつは、
ストーリーを書くときにも誰かのガイドがないと出来ないのかも知れない。
結論だけ先に言っておくと、
地図の書き方は、
自分が迷ったときに脱出しやすく書いておく、
ということである。
つまり、自分が路頭に迷うことを想定して、
自分が脱出出来るように、
地図は書かれるべきである。
つまりそれは、何度も失敗して、
自分なりに練っていくしかないというのが答えだ。
とはいえ、誰かのやり方は参考になるだろう。
ブレイクシュナイダーの「ボード」は、
知らない人にとっては強力な地図になる。
4列10枚のカードに、一行書いたものを並べて考える方法だ。
1列が30分(1幕、3幕、2幕前半、後半)に相当する、
というのも直感的でいい。
これのいいところは、
案外漏れが多いなあ、ということを気づかせることである。
しかし、うまく一行に書けるという保証がないと、
この方法はうまくいかない。
カードには一行で書いたことが、
実際には何十ページに膨らむことだってある。
そうすると全体の構成が大事なのか、
その面白い部分を大事にするべきか、
分からなくなってくるのだ。
原則は、いつもログラインに戻ることで、
それに相応しい構成かどうかで判断するべきだ。
ログラインを変更すると、全部が狂ってくる。
だからログラインの変更は、もう一本作るような労力が必要である。
逆に、何枚ものカードを使うようなことが、
たった一行の台詞で済むこともある。
これも構成が変わってしまう。
凝縮されたものを薄めても詰まらなくなるだけなので、
構成がえを余儀なくされるわけだ。
だから、カード単位で構成を考えることは、
万能でないと知っておくことだ。
僕は昔はカード法を使っていたのだが、
上で書いたようなことが多くて、
カードによる構成法は精度が悪いと感じた。
大掴みに考えるにはちょうどいいのかも知れないけれど、
大掴みの精度が悪いと。
これは、シドフィールドのカード法でも同じである。
シドフィールドは15分を7枚のカードで構成するだけで、
違うのは枚数だけだ。
日本のハコガキも大体同じ。
8行×4だっけ。流派によっていろいろある。
枚数が違うだけで、
基本的にはカード法のパラダイムであるわけだ。
ちなみに僕の方法。
白紙にフリーで書いていく。
思いついたことすべて。
紙の端と端を矢印で繋げてもいいし、
消してもいい。消すのは×をつけるだけで、文字としては残しておく。
紙がいっぱいになるまでやる。
一杯になったら白紙をもってくる。
前のものを見ずに、アイデアの核と思えることを中心に書く。
複数あることもある。
あとはストーリー構成を、箇条書きでその周りに書いていく。
一杯になったら白紙をもってくる。
前のものを見ずに、ストーリーを箇条書きで書いていく。
アイデアを思い付いたら横にかき、
必要とあらば矢印などでつなぐ。
これを何度も繰り返す。
そのうち、ひとつのストーリーを白紙に書けるようになる。
それが、僕の地図になる。
一旦完成地図を作ったあとに、
これまでの何枚もの埋まったやつを見て、
捨てたけど復活させたいやつをサルベージすることもある。
これを、何日もかけてやる。
寝て忘れるのもコツだ。
寝て起きて、白紙をもってきて、
そこに今頭のなかにあるストーリーを、
一からメモしていく。
前のを見ずにやることで、
毎回初めてそれを見る人の立場から、
書いていくことが出来る。
これはプロットを部分リライトすると、
なぜかいびつになることから来た、
それを防ぐ経験的な方法だ。
自分で飲み込んでいることを、
整合性があるように一から吐き出すには、
こうやって白紙に書いていくのがよい。
僕が地図が出来たな、
と思うのは、この最後のほうの段階ではなく、
そろそろこのぐにゃぐにゃのやつを、
整理して一から書いてみようかな、
と思うときの段階の一枚である。
そこには、自分の情熱や閃きが記録されている。
あとは、それを一枚の地図に「まとめる」だけでよい。
まとめるプロセスで、
足りなかったことや過剰なことに気づいて、
段々と全体が整っていく。
そのとき半分法やログラインを使って、
尺を大体整えておく。
そこまでできて、ようやくプロットととらえている。
CMなら数枚、映画なら数十枚、
こういうことをやっている。
壷の中の牛乳に放り入れられたカエルは、
足をじたばたさせるうちに発酵が進み、
ついにはチーズになって、
それを足場にジャンプでき、脱出できたという。
そういうやり方かも知れない。
そこに合理やハックはないと思う。
創作とは、そこまで考えやアイデアを煮詰める行為だと、
僕は考えている。
つまり僕にとっての地図とは、
そこまで整理された地図のことである。
2017年05月19日
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