2017年05月25日

本当にいいものなら、短くまとめられる

その、まとめる過程こそ創作である。


難しいことを言おうとする。
うまく言えないし、言いたいことが何かも分からない。
だから複雑になってしまう。

それはしょうがないことだ。
新しいものは、既に洗練されたものと、
違うものを作ろうとすることである。
今までになかったものを作ろうとすればするほど、
今あるものと何が違うのか、
そこばかりを意識して、
説明は複雑になり、
解説をたくさん加えたくなり、
状況も展開もややこしくなる。

だがそれを産み出しても、
まだ半ばだと思うことだ。

創作の後半は、
それをどうやれば分かりやすくなるかの、
工夫に費やすとよい。


状況が複雑だとしても、解決は一発でシンプルにやるとか。
複雑な性格だとしても、何と何の要素に分かれるかをうまく表現したり。
複雑なテーマだとしても、主な二項対立や三項対立を明確にしてあとは省略したり。

複雑妙味な部分こそオリジナリティだと信じたい気持ちは、
とてもわかる。
しかし、その複雑妙味を、
「相手が自分だけで再構成出来るレシピを与えてやること」
が創作の後半である、
と考えると、
ただ複雑なものを作って喜んでるのは、
まだまだお子さまだとわかるはずだ。


複雑怪奇は楽しい。
それは、最後にその迷路から出れるからだ。
迷路に入ったまま出られないのは、
面白くもなんともない。
(多くの人にとっての数学は、残念ながらこれである)
迷路から出れる人だけが迷路を楽しめるし、
中途半端な迷路よりもギリギリの複雑怪奇を喜ぶ。
それは、複雑怪奇という刺激に過ぎないだけである。


本当に価値のあるものは、
最終的に三行で言える。
いや、逆に言えば、三行に言えないやつは、
数学のように見向きもされない。


せっかく作り上げたものを、
再解体し、再構築するのは、
とても手間だし成功する保証もない。
だから、創作経験が浅い人ほど、
一回出来たら完成で、二度と触りたくないと思う。
中級者はいじること自体が楽しくなってしまって、
いじるのに飽きたら終えてしまう。

上級者はそうではない。
自分の作り上げた複雑怪奇な迷路を、
いかにシンプルに作り直せるか、
後半戦で粘る。

キャッチコピーや俳句の、句読点の位置だけで数日悩むのも、
同じことである。
たかが数文字の話ではない。
それは、本質の構造に関わるのである。


ストーリー構成、ストーリーの構造、
テーマの構造、コンフリクトの構造、
場所や移動の構造、
プロットとサブプロット同士の構造、
人間関係、過去の影響、性格や決断や行動、
これらを、
再解体し再構築すること。
こういうのは、経験しないと伸びない力である。

何年も苦労して、ようやくましになってくるぐらい難しいことだ。

すぐに出来るようになれとは言わない。
しかしそこまで出来るようにならないと、
名作なんて出来ないと、僕は思う。
(偶然出来ることもあるけどね。
しかし、じゃあ偶然引くまでガチャを回すのか、
という話だ)


シンプルに作ることは、
一番難しいこと。
しかし名作は、すべからくシンプルな構造だけで、
複雑妙味な味わいをかもしだす。

そこに至れるように、
毎回苦労すべし。
posted by おおおかとしひこ at 08:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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