その、まとめる過程こそ創作である。
難しいことを言おうとする。
うまく言えないし、言いたいことが何かも分からない。
だから複雑になってしまう。
それはしょうがないことだ。
新しいものは、既に洗練されたものと、
違うものを作ろうとすることである。
今までになかったものを作ろうとすればするほど、
今あるものと何が違うのか、
そこばかりを意識して、
説明は複雑になり、
解説をたくさん加えたくなり、
状況も展開もややこしくなる。
だがそれを産み出しても、
まだ半ばだと思うことだ。
創作の後半は、
それをどうやれば分かりやすくなるかの、
工夫に費やすとよい。
状況が複雑だとしても、解決は一発でシンプルにやるとか。
複雑な性格だとしても、何と何の要素に分かれるかをうまく表現したり。
複雑なテーマだとしても、主な二項対立や三項対立を明確にしてあとは省略したり。
複雑妙味な部分こそオリジナリティだと信じたい気持ちは、
とてもわかる。
しかし、その複雑妙味を、
「相手が自分だけで再構成出来るレシピを与えてやること」
が創作の後半である、
と考えると、
ただ複雑なものを作って喜んでるのは、
まだまだお子さまだとわかるはずだ。
複雑怪奇は楽しい。
それは、最後にその迷路から出れるからだ。
迷路に入ったまま出られないのは、
面白くもなんともない。
(多くの人にとっての数学は、残念ながらこれである)
迷路から出れる人だけが迷路を楽しめるし、
中途半端な迷路よりもギリギリの複雑怪奇を喜ぶ。
それは、複雑怪奇という刺激に過ぎないだけである。
本当に価値のあるものは、
最終的に三行で言える。
いや、逆に言えば、三行に言えないやつは、
数学のように見向きもされない。
せっかく作り上げたものを、
再解体し、再構築するのは、
とても手間だし成功する保証もない。
だから、創作経験が浅い人ほど、
一回出来たら完成で、二度と触りたくないと思う。
中級者はいじること自体が楽しくなってしまって、
いじるのに飽きたら終えてしまう。
上級者はそうではない。
自分の作り上げた複雑怪奇な迷路を、
いかにシンプルに作り直せるか、
後半戦で粘る。
キャッチコピーや俳句の、句読点の位置だけで数日悩むのも、
同じことである。
たかが数文字の話ではない。
それは、本質の構造に関わるのである。
ストーリー構成、ストーリーの構造、
テーマの構造、コンフリクトの構造、
場所や移動の構造、
プロットとサブプロット同士の構造、
人間関係、過去の影響、性格や決断や行動、
これらを、
再解体し再構築すること。
こういうのは、経験しないと伸びない力である。
何年も苦労して、ようやくましになってくるぐらい難しいことだ。
すぐに出来るようになれとは言わない。
しかしそこまで出来るようにならないと、
名作なんて出来ないと、僕は思う。
(偶然出来ることもあるけどね。
しかし、じゃあ偶然引くまでガチャを回すのか、
という話だ)
シンプルに作ることは、
一番難しいこと。
しかし名作は、すべからくシンプルな構造だけで、
複雑妙味な味わいをかもしだす。
そこに至れるように、
毎回苦労すべし。
2017年05月25日
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