僕はピアノが弾けない。
でも世の中には、
子供の頃からピアノを習ったり、
趣味で続けている人もいたり、
音大ピアノ科に行く人もいたり、プロになったり、
ピアノの先生になる人もいる。
でも、その人全員が作曲が出来るわけではない。
ピアノがうまいことと、
作曲がうまいことは、別の能力だ。
勿論関係がない訳ではない。
作曲出来る人は、ある程度ピアノぐらい弾ける。
プロピアニストではないという程度なだけだ。
しかし、
他人の譜面をいくら美しく弾けたとしても、
新しい美しいメロディを作り出すこととは、
関係がないことである。
昨日後輩のコンテを見て驚いた。
イラレのレイアウトは綺麗で、
ネットから落とした美しい画像も貼り付けてあり、
見る人の目を整理させることについては、
プロピアニストレベルなのに、
肝心の企画内容はうんこレベルであった。
うんこにどんな美しい服を着せてもうんこにしかならない。
そして私たちは、
ピアノ演奏をする人ではなく、
メロディを作る人である。
演奏は、最後は別のもっとうまい人がやる。
ピアノ以外だと、
たとえば書道にたとえようか。
書道十段と、素晴らしい言葉は、相関がない。
私たちは美しく文字を書くのが仕事ではなく、
素晴らしい言葉を産み出すのが仕事である。
いや、言い方すら俳優に任せればいい。
私たちは、ほんとうには動機や構造をつくるのだから。
デジタルの罠は、
ピアニストが作曲家より偉いと勘違いさせるところにある。
見た目だけは整えられるからね。
しかしどれだけピアノが弾けようが、
作曲家の才能の方が少ないのが現実だ。
僕はピアニストはみんな作曲が出来るのだと思っていたが、
そうではないと知ってびっくりした。
カラオケがうまい人が歌を作れるわけではないのと同じ、
と言われて納得した。
あなたは、ピアニストなのか、作曲家なのか。
僕の企画は相変わらず手書きの殴り書きだ。
しかし冴えたアイデアと切れのいい言葉が踊っている。
どちらが感動を与えるかは、
それを見ている人の顔を見てればわかる。
ワープロなんて、脚本にはいらない。
字だけ書ければOKだ。
でも服と同じで、最低限の清潔な服は着よう。
企画の体裁なんてそれくらいでいい。
問題は、人の心を動かすメロディかどうかだ。
2017年05月25日
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