2017年05月25日

ピアニストと作曲家

僕はピアノが弾けない。
でも世の中には、
子供の頃からピアノを習ったり、
趣味で続けている人もいたり、
音大ピアノ科に行く人もいたり、プロになったり、
ピアノの先生になる人もいる。

でも、その人全員が作曲が出来るわけではない。


ピアノがうまいことと、
作曲がうまいことは、別の能力だ。

勿論関係がない訳ではない。
作曲出来る人は、ある程度ピアノぐらい弾ける。
プロピアニストではないという程度なだけだ。

しかし、
他人の譜面をいくら美しく弾けたとしても、
新しい美しいメロディを作り出すこととは、
関係がないことである。


昨日後輩のコンテを見て驚いた。
イラレのレイアウトは綺麗で、
ネットから落とした美しい画像も貼り付けてあり、
見る人の目を整理させることについては、
プロピアニストレベルなのに、
肝心の企画内容はうんこレベルであった。

うんこにどんな美しい服を着せてもうんこにしかならない。

そして私たちは、
ピアノ演奏をする人ではなく、
メロディを作る人である。
演奏は、最後は別のもっとうまい人がやる。


ピアノ以外だと、
たとえば書道にたとえようか。
書道十段と、素晴らしい言葉は、相関がない。

私たちは美しく文字を書くのが仕事ではなく、
素晴らしい言葉を産み出すのが仕事である。

いや、言い方すら俳優に任せればいい。
私たちは、ほんとうには動機や構造をつくるのだから。



デジタルの罠は、
ピアニストが作曲家より偉いと勘違いさせるところにある。
見た目だけは整えられるからね。

しかしどれだけピアノが弾けようが、
作曲家の才能の方が少ないのが現実だ。

僕はピアニストはみんな作曲が出来るのだと思っていたが、
そうではないと知ってびっくりした。
カラオケがうまい人が歌を作れるわけではないのと同じ、
と言われて納得した。

あなたは、ピアニストなのか、作曲家なのか。


僕の企画は相変わらず手書きの殴り書きだ。
しかし冴えたアイデアと切れのいい言葉が踊っている。
どちらが感動を与えるかは、
それを見ている人の顔を見てればわかる。


ワープロなんて、脚本にはいらない。
字だけ書ければOKだ。
でも服と同じで、最低限の清潔な服は着よう。
企画の体裁なんてそれくらいでいい。
問題は、人の心を動かすメロディかどうかだ。
posted by おおおかとしひこ at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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