どうしてリライトは難しいのだろう。
どうしてリライトするとダメになっていくのだろう。
どうしてリライトすると、最初の方がよかったってなりがちなのだろう。
ずっと考えてきたのだが、
ふと思った。
要するに、
リライトはライト(一発書き)の、三倍実力がいるのだ。
三倍、という数字は適当だ。
十倍かも知れないし二倍かも知れない。
数字そのものに意味はないし、
実力が数字で測れる(戦闘力○○みたいに)とも思えない。
しかしながら、
実力が明らかに上回る、という場面は現実にいくらでもある。
それは経験とか練ってきたことに、
ある程度比例する。
つまり新人ほど、リライトの実力はない。
リライトにはいくつかの深度がある。
ブラッシュアップやアレンジと言われる程度の、
表面を撫でる程度の修正。
落とす、という削る行為。
構成がえや構造がえという、
ホンの構造を変えるもの。
テーマに関わることの変更。
簡単な順から並べた。
ところで、
CMの現場では、一番下が朝令暮改になる。
だから毎回積み木崩しが起こり、現場が疲弊する。
クライアントが素人ほど、何が言いたいかを特定できない。
あるいは、原作の実写化においても、
似たようなことが起こっている。
テーマや構造に関する修正は日々行われ、
脚本はカオスでスカスカになってゆく。
僕はこうした愚かな行為がなぜ起こるかを考えていたのだが、
それがようやく言葉になったわけだ。
リライトはライトの三倍実力がいる。
なぜだろう。
物語は、一回きりの時間軸を扱う。
人生を例に出す。
人生は一度きりで、間違ったり偶然成功したりしながら生きていく。
計画することもあるし、
計画通りになることもあるし、
計画通りにいかないこともある。
死んだときに、
この人生は大成功だったか、
まあまあの成功だったか、
失敗だったのか、
決まる。
で、最初のライトとは、この人生のようなものだ。
最初のライトは、手探りだ。
執筆の途中何が起こるか分からない。
だから面白いしドキドキするんだけど、
失敗もあるわけだ。
で、出来上がったときに、ようやく成功か失敗か分かるわけだ。
リライトとは、
人生やり直しと同じ行為だ。
一回きりのアドリブのドキドキではなく、
すべてを計画通りにうまくいかせることを、
しなければならないのである。
つまり、人生を一回生きればそれでOKではなく、
何回リセットしてもいいから、
完璧な人生にせよ、
というオーダーが、リライトの目的であるといえる。
我々は皆人生の初心者であるから、
やりながら人生を学んでいく。
しかし、学ぶとか学ばないとかどうでもいいから、
完璧な人生にせよ、という命令がリライトの正解を引くことだ。
ということは、
人生の達人でない限り、
一回やった人生をリライトしてよくすることは出来ないのではないかな。
あるうまくいかなかった所を、
うまくいかせるには、人生の実力がいる。
それがあとに影響を及ぼすことを再調整して、
最終目標に持っていくことも、人生の実力がいる。
結論にとって不要な場面を注意深くとりのぞき、
最終的成功に必要な最小部分だけを残すのは、
人生の実力がいる。
全体的にピリッとしないものを、
ピリッとしたワクワクドキドキするものにしながら、
かつ大成功に導くには、
人生の実力がいる。
それは、発言をちょっと言い直すとかのレベルではない、
人生のやり直しなのだ。
人生は何十年だけど、
映画は二時間だ。
でも二時間の脚本を書くのに、
我々は一ヶ月はかける。
リライトは半年かかったりする。
準備を含めれば数年かかる。
そして描かれる内容は、
作品内での、ある一定期間の人生だ。
何十年には匹敵しないが、
擬似的な人生体験であることに、違いはないのだ。
執筆とは、
いかようにでも書き直せるような気がするけど、
実際は一発勝負だ。
ノリが良くないと書けないことは、
執筆を経験した人なら誰でも知っている。
コンスタントに同じ質の内容が書けるわけがない。
それは、アドリブで言葉を紡ぐからである。
私が次に何を言うかは、完全には計画できないのである。
ということは、執筆は人生に似ている。
楽器の演奏にたとえてもいいけど。
楽器の演奏は、楽譜があったとしても、
演奏のニュアンスで全然違うものになることは、
ちょっと音楽をやればすぐにわかるだろう。
音楽にたとえるなら、
ライトは、一発のライブである。
リライトは、成功するまでやり直す、レコーディングだ。
音楽なら楽譜が決まってるからいいけど、
脚本は、楽譜を書いていく行為だからね。
一発のライブで書くことがライトで、
じっくり継ぎ接ぎしながら、
それが完璧な一本になるまでやるのがリライトだ。
つまり。
アドリブで出来るちょっとうまい人が、初心者。
完璧な一本になるまで、何度でも別テイクが作れるのが上級者。
そこまで上級者になれば、
そもそも一発のアドリブもうまいので、
一場面程度の演奏では、
初心者か上級者かは、区別がつかない。
耐久試験をやれば、初心者のほうがぼろが出るだろうね。
リライトがうまくなるためには、
練りの経験が、膨大に必要だ。
人生何度もやり直して生まれ変わった魂のように、
ああ、ここはこうしたほうがうまく行くな、
と思いながら第一ページから書ける人だけが、
ライトもリライトもうまくいくのだ。
生まれ変わりの経験の浅い、初心者の魂は、
やり直し人生途中、何度も事故死するのだね。
どうしたらリライトはうまくいきますか?
と問われたら、うまくいくまでリライトの経験を積むしかない、
というのが、どうやら答えのような気がする。
今CM界や脚本界で起こっていることは、
そこそこの成功で満足せずに、
うまくいくまでやろうとして、
結局失敗しているという惨状ではないだろうか。
なぜ失敗しているかというと、
成功でもない人生を、締め切りが来たからリリースせざるを得ない、
という見切り発車と関係している気がするぞ。
あなたは、リライトの達人か?
リライトの達人は、結局一発目から達人なので、
ライトの達人と区別がつかない。
そうなるように、七転八倒していこう。
2017年05月26日
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