練る、という過程を俯瞰してみる。
とあるアイデアを思いつく。
これは行けそうだぞ、という何か。
この時点では全てが見えていないが、
なんだか行けそうな気がする、
という光明のようなもの。
そのアイデアを元に、
ざっくり作っていく。
まだ全体が一通り見えている訳ではない。
色々妄想しているうちに、
あれもやりたい、これもいい、と、
連鎖的にアイデアが湧いてくる。
このときが多分一番楽しい。
で。
全体を俯瞰できるまで全部をつくる。
具体的にいうと、
事件が起こってから解決するまでの、
一通りの顛末である。
この段階で、すべてのパーツが過不足なく揃っている例は、
まれである。
光明を見いだしたとき、ほとんどは闇だ。
それのすべてに、スポットは当てきれていない。
どれくらいの所を埋めればすむかを定量的に俯瞰するには、
ブレイクシュナイダーのボードを作ってみるとよい。
二幕のアイデアが少なすぎるとか、
一幕が多すぎるとか、
三幕がうすっぺらいとか、
後日談が長いとか、
さまざまな過不足を自覚できる。
(上にあげた具体は、たいがいよくあること)
ストーリーに関するアイデアを増やすには、
人間関係図を書くのも有効だ。
こういう役割のキャラが欲しい、
ということに気づけるからだ。
あるいは名作の人物相関図を作ってみて、
自分の話には、意外とこういうギャラいないなあ、
なんて知ることもいい。
取材してみて、
実際のリアルな場所や人に会い、
こういうことになっていたのか、
と知ることも大事だ。
作品内に反映させられる新しいネタも増えるだろう。
ある程度ここまで出来てくると、
複数のアイデアが喧嘩をしはじめる。
あれとあれを同時にやるのは難しいとか、
あれとあれが矛盾するとか。
ここから、練りの後半戦。
すべてに矛盾がなくスッキリするように、
整理していく。
捨てることがベストだけど、
捨てることは愛着もあり難しい。
ボードを作ってみるとわかるが、
「このパートでアイデア(カード)が多すぎるから、
○個減らすこと」と、
自分にノルマを課すと整理しやすい。
締め切りを作ってしまうのだ。
そうすると、
「この本質を示すには、最低限何個のアイデアだけで表現できるだろうか」
というところを考えることが出来る。
似たものをひとつにまとめたり、
あることとあることは実は同じものの派生である、
なんてふうにすることも出来るかも知れない。
アイデア同士を系統立てて、主従関係を作れるかも知れない。
あるいは、主従関係を作るために、アイデア同士をよりいい形に作り替えられるかもしれない。
こうして、
少しずつ秩序が生まれ始める。
ログラインを書いてみると、
この話の本質は何か?
と自分に問うことが可能だ。
モチーフの面白さは何か?
売りは何になるのか?
クライマックスはどう面白いのか?
なんてあたりが見えてくる。
ストーリーそのものの面白さはどうだろうと、
ログラインを何回も書いていい。
何パターンか作ってみてもよくて、
それぞれのパターンのプロットを書き出してみて、
比較検討しても構わない。
キャラクターが魅力的ならそれを売りの中心にすればいい。
それを活かすようにストーリーを組み替えていくといい。
足りないキャラは作り出し、多いキャラは統合すればいい。
ストーリーの二転三転が魅力的なら、それを売りの中心にすればいい。
伏線やミスリードを活かすように、
場面やキャラクターを工夫すればいい。
このあたりになると、
何かの「特徴」をそのストーリーは持ち始める。
他に似た感じはどういうのか、をぼーっと考えるのもいい。
影響されるから見ない人もいるし、
前任者の偉業を確認した上で、
それを越えていこう、
あるいは自分はこういうところで勝負しようと、
決める人もいる。
(僕は後者を勧めるが、
すぐ影響されたりパクりがちな人ならやめておけ)
なんとなく纏まりが見えてきたら、
またボードを一から作ってみるといい。
プロットを白紙に書いてみてもいい。
そうすると、
過不足がさらに見えてくる。
キャラクターが足りない、
エピソードが足りない、
動機が足りない、
ターニングポイントが足りない、
二転三転が足りない、
ミスリードや仕掛けが足りない、
サブプロットか足りない、
あるいは、多い。
これらが「全体に秩序ある一本」になるまで、
新しいアイデアで古いアイデアを上書きしてみたり、
アイデアを足してみたり、
アイデアを引いてみたりする。
全体がスッキリしたひとつのアイデアに基づいた、
秩序ある素敵な構造に纏まったときが、
完成だ。
それはログラインもスッキリ書けるし、
プロットもスッキリ書けるし、
人物関係図もスッキリ整理されているし、
テーマやサブプロットの関係も分かりやすくて際立っているだろう。
そうなるまで、
雑味を除くフィルターにかけていくのである。
融合や更新や削除や追加を、
何度も何度も繰り返し、
アイデアに詰まったり新しいアイデアに飛び付いたり、
そのアイデアが結局意味がなかったと気づいて捨てたり、
あることに煮詰まったら、
前のアイデアを拾えば全てが解決したり、
解決したかと思ったらやっぱり使えなかったり、
そういうことをひたすらやり、
素晴らしいひとつの秩序になるまで、
練ったり煮詰めていく。
ある時点になると、
新しく思いついたアイデアが、
今あるどれも良くしない、というところに来る。
そのときが恐らく完成だ。
そういう状態のときは、
「そこの領域にあるもの、
その周辺領域にあるものは、
すべて考え尽くした」
という状態になっているはずだ。
つまり、
練るということは、
考え尽くすということである。
それはほんとに面白いのか?
それは世の中にどういうインパクトを与えるのか?
それは世の中をどう変えうるのか?
そのテーマがよいのか?
そのモチーフがよいのか?
ワクワクするのか?ハラハラするのか?
感動するのか?笑えるのか?
結局本質になっているのは何か?
何がコアか?
そういうことを考え尽くすことを、
練る、という。
練り終わったら、
あとは書いていくだけだ。
僕は、これに9割を費やしていいと思う。
執筆なんて一週間でいい。
ということは、9週間練ることだ。
1日8時間、9週間、そのことだけを練る、
ということで、始めて必要な時間を確保できる。
プロならそういう生活。
アマチュアなら、仕事の合間にやるからもっとかかる。
練っている間は、実質なにもしていない。
膨大なメモや写真や本を読んだりネットを見たりしているはずだ。
そのなかで思いつき、メモをつくり、
一覧表にしてみたり、
また部分を思いついたりして、
秩序は徐々に作られていく。
僕はこれらのものは、
データであるよりも、物理的メモのほうがいいと考えている。
色々見比べられるからである。
アイデアの整理すら、手でやったほうが効率がいい。
手でやることで暗記が進むのは、勉強したらわかることだ。
整理する経験そのものが、アイデアを練るということだからだ。
それらの物理証拠が、次のアイデアを連れてくる。
こうやって、考え尽くすという行為はつづく。
ストーリーづくりだけでなく、
研究者などは開発ノートを作ることもある。
それは多分これと同じことをやっている。
試したいアイデアを書き、結果はどうだったかを書き、
何が原因で何を解決しなきゃいけないかを、
メモしてどこかで俯瞰したりするのだろう。
(実際、カタナ式の開発ではそのようにしている。
ちょっとマニュアルづくりに手間取っております)
練るということ。
それは、はじめに見いだした光明からはじまって、
全てが素晴らしい秩序をなすまで、
考え尽くすということである。
考え尽くされていないものは、
練りが足りない。
2017年05月27日
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