独創、という言葉がそれを示している。
誰もいかない所へいって、一人で練り上げたものこそ、
オリジナルの面白さだ。
しかし今の時代、「何に似ているか」でしか人に紹介出来ない。
しかし、変わらず何にも似ていないものを作ればいいと思う。
バカな人は、
「それが面白いという保証はあるのか」と聞く。
もっとバカな人は、
「それが儲かるのか」と聞く。
なぜ儲かるのか、分かっていない。
「それがそこにしかない面白さ」だから、
皆が欲しがり、儲かるのである。
ということは、
皆が欲しがるそこにしかない面白さかどうか、
そのバカな人は分からない、
というバカを露呈しているわけだ。
こういうバカな人、
つまり投資の根拠のない人と、
仕事などしないほうがいい。
なんだかよく分からないが、
誰もやっていないオリジナリティーの面白さを感じる、
という人だけが、投資をすればいい。
すでに売れたフォーマットに乗っかり、
それを改良することが日本人には得意だと言われる。
それはすなわち、
「それは売れる保証はあるのか」と尋ねた人が、
誰もやっていないことをやろうとする独創の芽を、
摘んできたことの結果だと考える。
誰もやっていないことをやること。
誰も考えていないことをやること。
それは、とてつもなく孤独である。
誰もそのことを最終的に理解する保証はない。
その価値を誰も分からないかも知れない。
でもあなたは、
その孤独の向こうにある、オリジナリティーの完成に向かわなくてはならない。
誰かに似ていれば安心する。
しかしその安心のぶん、オリジナリティーは減る。
誰にも似てない孤独の地で、
あなたは一人で練り続けなければならない。
数ヶ月。一年。何年か。
自分の感覚だけを信じるしかない。
そうやって練り上げられたものしか、
結局は何にも似ていない、
面白いものじゃないんだよね。
ネット時代になって、
そうなるチャンスだったのに、
やっぱりみんな怖くて、
横並びを選んだ。
オリジナリティーの面白さじゃなくて、
何かに似ていることを、その人がやるから面白い、
という、人に帰属するものしか出来なくなってきた。
パイオニアは、誰にも手のつけられていない所へ、
向かう者のことである。
友は孤独で、羅針盤は最初に見えた光明だ。
それで練り続けるのは、おそろしく怖い。
それを突破しないと、時代を突破できないと僕は思う。
死ぬ人もたくさんいる。
それが創作である。
分類できない面白さを、つくれ。
なるべくシンプルにね。
2017年05月28日
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