2017年05月28日

オリジナリティーとは、誰もいかない所へゆくこと

独創、という言葉がそれを示している。
誰もいかない所へいって、一人で練り上げたものこそ、
オリジナルの面白さだ。

しかし今の時代、「何に似ているか」でしか人に紹介出来ない。
しかし、変わらず何にも似ていないものを作ればいいと思う。


バカな人は、
「それが面白いという保証はあるのか」と聞く。
もっとバカな人は、
「それが儲かるのか」と聞く。
なぜ儲かるのか、分かっていない。
「それがそこにしかない面白さ」だから、
皆が欲しがり、儲かるのである。
ということは、
皆が欲しがるそこにしかない面白さかどうか、
そのバカな人は分からない、
というバカを露呈しているわけだ。

こういうバカな人、
つまり投資の根拠のない人と、
仕事などしないほうがいい。

なんだかよく分からないが、
誰もやっていないオリジナリティーの面白さを感じる、
という人だけが、投資をすればいい。


すでに売れたフォーマットに乗っかり、
それを改良することが日本人には得意だと言われる。
それはすなわち、
「それは売れる保証はあるのか」と尋ねた人が、
誰もやっていないことをやろうとする独創の芽を、
摘んできたことの結果だと考える。



誰もやっていないことをやること。
誰も考えていないことをやること。
それは、とてつもなく孤独である。

誰もそのことを最終的に理解する保証はない。
その価値を誰も分からないかも知れない。
でもあなたは、
その孤独の向こうにある、オリジナリティーの完成に向かわなくてはならない。
誰かに似ていれば安心する。
しかしその安心のぶん、オリジナリティーは減る。

誰にも似てない孤独の地で、
あなたは一人で練り続けなければならない。
数ヶ月。一年。何年か。
自分の感覚だけを信じるしかない。

そうやって練り上げられたものしか、
結局は何にも似ていない、
面白いものじゃないんだよね。


ネット時代になって、
そうなるチャンスだったのに、
やっぱりみんな怖くて、
横並びを選んだ。
オリジナリティーの面白さじゃなくて、
何かに似ていることを、その人がやるから面白い、
という、人に帰属するものしか出来なくなってきた。


パイオニアは、誰にも手のつけられていない所へ、
向かう者のことである。
友は孤独で、羅針盤は最初に見えた光明だ。
それで練り続けるのは、おそろしく怖い。

それを突破しないと、時代を突破できないと僕は思う。
死ぬ人もたくさんいる。
それが創作である。

分類できない面白さを、つくれ。
なるべくシンプルにね。
posted by おおおかとしひこ at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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