主人公の目的や動機が明快であっても、
別の登場人物については、ついつい曖昧であることが多い。
なぜその人は、主人公が行ったらそこにいたのか。
それをちゃんと作っているだろうか。
たとえば職務上、あるいは生活習慣上、
そこにいる、というのはよくある。
車掌さんが電車にいたり、
会社員がオフィスにいたり、
奥さんが家にいたり、
夜に殆どの人が布団に入っているのは、
当たり前のことである。
この場合は特に動機や目的を描くことなく、
見ればそこにいる理由はわかる。
ところで。
職務上の理由、生活習慣上の理由、
「以外に」そこにいるとしたらどうだろう。
車掌は自殺するつもりで電車に乗っている。
会社員は浮気するためにオフィスに来た。
奥さんが家にいるのは恐怖症で外に出れない。
布団に入る男は、強盗から隠れるため。
なんでもいいから、とりあえず作ってみるといい。
こうすると、途端に面白くなるわけだ。
一見普通の理由でそこにいるように見えて、
実は違う目的や動機でそこにいるからだ。
そこに、ギャップが発生するからである。
自殺しようとしている車掌は、
電車を正しく運行させるだろうか。
それとも電車を正しく運行させることが、
最後の自分の義務のように考えているだろうか。
そこにテロリストが来たら、
どういう行動を取るだろう。
人身事故が起こったら、
どういう行動を取るだろう。
これは車掌側から見たストーリーだけど、
テロリストが電車でテロをしようとしたら、
猛烈に走ってくる車掌に捕まり…というメインストーリーの、
車掌のサブプロットにすることもできる。
実は彼は今日自殺するつもりだったので、
命を捨てて止めに来た、
なんてアクシデントを描くことが出来るわけだ。
そこにいったときに、普通にそこには誰がいるだろう。
その人たちは何のためにそこに来ているのか。
ごく普通の理由と、そうじゃない理由の人は、何割くらいの割合か。
こうしたことがリアルで、あるいは面白ければ、
そこにストーリーが生まれる余地がある。
ただそこにいる人は、エキストラだ。
そこにいる理由は、大体見た目通りだというデフォルトである。
そうじゃない人が、役をもらう。
その役と別の役の人のコンフリクト、
すなわち目的の違いから来る揉め事を描くのが、
ストーリーである。
メインストーリーだけでなく、サブストーリーもつくってよいわけだから、
メインの揉め事以外に、サブの小さい揉め事を、
こうやって作っていくと、
揉め事は増えていく。
医者にかかる場面だとしても、
医者がただ職務遂行している場面なら、
描いても描かなくてもたいして変わらない。
その医者が、今日は虫歯が傷んで苛々するとか、
ランチの時間が終わりそうで焦っているとか、
奥さんに浮気がばれたメールを受け取った直後とか、
そういう小さな何かを放り込んでおくだけで、
普通の会話の裏に、
何かしらの普通じゃない部分が出てくる。
それが、ただの会話を面白いものに変えていく。
ただそこにいる人を描いちゃいないか。
それは、せっかくの小ドラマを作るチャンスを棒に振っている。
逆に言うと、ただの場面にしかなっていない。
さらに言うと、
ただそこにいる人が、見た目通りの行動を取っている場面は、
ただの通りすぎる詰まらない場面であり、
存在価値はない。
それはドラマでもなんでもなく、ただ説明しただけの、
詰まらない一枚絵だ。
2017年05月29日
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