2017年05月29日

その人はなぜそこにいる(いた)のか

主人公の目的や動機が明快であっても、
別の登場人物については、ついつい曖昧であることが多い。
なぜその人は、主人公が行ったらそこにいたのか。
それをちゃんと作っているだろうか。


たとえば職務上、あるいは生活習慣上、
そこにいる、というのはよくある。

車掌さんが電車にいたり、
会社員がオフィスにいたり、
奥さんが家にいたり、
夜に殆どの人が布団に入っているのは、
当たり前のことである。
この場合は特に動機や目的を描くことなく、
見ればそこにいる理由はわかる。

ところで。
職務上の理由、生活習慣上の理由、
「以外に」そこにいるとしたらどうだろう。

車掌は自殺するつもりで電車に乗っている。
会社員は浮気するためにオフィスに来た。
奥さんが家にいるのは恐怖症で外に出れない。
布団に入る男は、強盗から隠れるため。

なんでもいいから、とりあえず作ってみるといい。

こうすると、途端に面白くなるわけだ。
一見普通の理由でそこにいるように見えて、
実は違う目的や動機でそこにいるからだ。

そこに、ギャップが発生するからである。


自殺しようとしている車掌は、
電車を正しく運行させるだろうか。
それとも電車を正しく運行させることが、
最後の自分の義務のように考えているだろうか。
そこにテロリストが来たら、
どういう行動を取るだろう。
人身事故が起こったら、
どういう行動を取るだろう。

これは車掌側から見たストーリーだけど、
テロリストが電車でテロをしようとしたら、
猛烈に走ってくる車掌に捕まり…というメインストーリーの、
車掌のサブプロットにすることもできる。
実は彼は今日自殺するつもりだったので、
命を捨てて止めに来た、
なんてアクシデントを描くことが出来るわけだ。

そこにいったときに、普通にそこには誰がいるだろう。
その人たちは何のためにそこに来ているのか。
ごく普通の理由と、そうじゃない理由の人は、何割くらいの割合か。
こうしたことがリアルで、あるいは面白ければ、
そこにストーリーが生まれる余地がある。

ただそこにいる人は、エキストラだ。
そこにいる理由は、大体見た目通りだというデフォルトである。
そうじゃない人が、役をもらう。
その役と別の役の人のコンフリクト、
すなわち目的の違いから来る揉め事を描くのが、
ストーリーである。

メインストーリーだけでなく、サブストーリーもつくってよいわけだから、
メインの揉め事以外に、サブの小さい揉め事を、
こうやって作っていくと、
揉め事は増えていく。

医者にかかる場面だとしても、
医者がただ職務遂行している場面なら、
描いても描かなくてもたいして変わらない。
その医者が、今日は虫歯が傷んで苛々するとか、
ランチの時間が終わりそうで焦っているとか、
奥さんに浮気がばれたメールを受け取った直後とか、
そういう小さな何かを放り込んでおくだけで、
普通の会話の裏に、
何かしらの普通じゃない部分が出てくる。
それが、ただの会話を面白いものに変えていく。


ただそこにいる人を描いちゃいないか。
それは、せっかくの小ドラマを作るチャンスを棒に振っている。
逆に言うと、ただの場面にしかなっていない。

さらに言うと、
ただそこにいる人が、見た目通りの行動を取っている場面は、
ただの通りすぎる詰まらない場面であり、
存在価値はない。
それはドラマでもなんでもなく、ただ説明しただけの、
詰まらない一枚絵だ。
posted by おおおかとしひこ at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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