2017年05月30日

魅力的な人物をつくるには

まず魅力的な人に会おう。
周りの人のなかで、魅力的な人を見つけよう。
創作物の中にモデルを求めないほうがいい。
ただの物真似で、似たようなキャラだと思われるのが落ちである。
それは、所詮劣化ダビングになるからだ。
(我々VHS世代で消えると思われた劣化ダビングは、
Mp4圧縮とかh264コーデックなどが、
毎回画質を劣化させてゆくので、結局生き残ったね)


オリジナルな人に会おう。
まずその人がどう魅力的なのか、観察することだ。


物理的にだろうか。
対人スキルだろうか。
表情だろうか。
考え方や生き方だろうか。

なんでもいい。徹底的に観察せよ。

そして、家に帰ったら、
原稿に再現してみよう。
その人の話し方を真似てみよう。
その人が出会った場面の対処を描いてみよう。

それは、あなたが魅力的に思うほど、
魅力的に書けているだろうか?
その人のいいところを、みんなが感じれるほどに。


書けていないのなら、
当該の人物の魅力が足りないか、
あなたの観察が足りないか、
あなたの筆力が足りないのか、
その全部かだ。

全部マックスになるまで頑張れ。

だいぶ出来てきたら、
その人のキャラがつかめた、
ということになる。

その人が出会ってない場面に出くわしても、
その人が反応するように書くことが出来るだろう。

絵画におけるデッサンと同じだ。


デッサンは、その方向から見たその絵を描くのが目的ではない。
それがどのような形をしているかを、
把握するために描く。
人体デッサンなら関節や筋肉や脂肪のつき方などを、
把握するために描く。
把握すれば、頭のなかで動かして、
見てもいない角度から描けるようになる。
描けないのは、そのものの把握が不十分だからだ。

車やバイクのデッサンも同じだ。
パーツに分解して、それがどう組み立てられているのか、
把握するために描く。
どういう形の部品とどういう形の部品が、どこでどう組合わさっているとか、
ここでビス止めしてあるとか、
ここの可動部はここまで動くとか、
理解しながら描いていく。
そうすれば、どこから見てもそれを描けるようになる。
描けないのは、そのものの把握が不十分だからだ。


ということで、
あなたは文章や場面で、
その魅力的な人をデッサンする、というわけだ。

何回も何回も書いているうちに、
なんとなくその人物が掴めてくるだろう。
デッサンと同じように、
時々本人と見比べることである。


もちろん、魅力的であればあるほど、
あなたはその人を好きになってしまうかも知れない。
しかし気にしないことだ。
観客も、あなたと同じように好きになってしまうからだ。

その恋のごちゃごちゃを上手くいなすには、
ちょっと人生経験を積まないと出来ないけどね。

勿論、とても嫌いな人に関しても同じだ。
同じようにデッサンしよう。
最高の悪役が出来上がるぞ。



実在の人をモデルに、
デッサンしてみるのはとても有意義である。
まずリアルである。
頭の中の架空ぶりを越える、確かなリアリティーがある。
その人が今そうしているのは、未来にこうしようとしているからだ、
なんて頭の中ではまず考えたこともないリアルに、
出会うことが出来たりする。

そのうち、何人かの祖型が、あなたのなかに出来上がる。
これらを組み合わせて、新しい人物を創造していくといいだろう。
他の気に入った既存キャラを混ぜても、
この段階までいけば大丈夫だ。
(どうせ実在の人のほうが強いので)


人間を描くなら、人間をデッサンする。
当たり前だけど、誰もやってないよね。
なのに一発で書けると信じてるのは、
自分を書いちゃうからなんだ。
他人を書くという徹底を、ちゃんとしたほうがいい。

自画像しか描かない画家っていたのかな。
そうならないことだ。
(サイバラはずっと自画像をネタにしながら創作する、
という奇妙なスタイルではあった)
posted by おおおかとしひこ at 13:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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