まず魅力的な人に会おう。
周りの人のなかで、魅力的な人を見つけよう。
創作物の中にモデルを求めないほうがいい。
ただの物真似で、似たようなキャラだと思われるのが落ちである。
それは、所詮劣化ダビングになるからだ。
(我々VHS世代で消えると思われた劣化ダビングは、
Mp4圧縮とかh264コーデックなどが、
毎回画質を劣化させてゆくので、結局生き残ったね)
オリジナルな人に会おう。
まずその人がどう魅力的なのか、観察することだ。
物理的にだろうか。
対人スキルだろうか。
表情だろうか。
考え方や生き方だろうか。
なんでもいい。徹底的に観察せよ。
そして、家に帰ったら、
原稿に再現してみよう。
その人の話し方を真似てみよう。
その人が出会った場面の対処を描いてみよう。
それは、あなたが魅力的に思うほど、
魅力的に書けているだろうか?
その人のいいところを、みんなが感じれるほどに。
書けていないのなら、
当該の人物の魅力が足りないか、
あなたの観察が足りないか、
あなたの筆力が足りないのか、
その全部かだ。
全部マックスになるまで頑張れ。
だいぶ出来てきたら、
その人のキャラがつかめた、
ということになる。
その人が出会ってない場面に出くわしても、
その人が反応するように書くことが出来るだろう。
絵画におけるデッサンと同じだ。
デッサンは、その方向から見たその絵を描くのが目的ではない。
それがどのような形をしているかを、
把握するために描く。
人体デッサンなら関節や筋肉や脂肪のつき方などを、
把握するために描く。
把握すれば、頭のなかで動かして、
見てもいない角度から描けるようになる。
描けないのは、そのものの把握が不十分だからだ。
車やバイクのデッサンも同じだ。
パーツに分解して、それがどう組み立てられているのか、
把握するために描く。
どういう形の部品とどういう形の部品が、どこでどう組合わさっているとか、
ここでビス止めしてあるとか、
ここの可動部はここまで動くとか、
理解しながら描いていく。
そうすれば、どこから見てもそれを描けるようになる。
描けないのは、そのものの把握が不十分だからだ。
ということで、
あなたは文章や場面で、
その魅力的な人をデッサンする、というわけだ。
何回も何回も書いているうちに、
なんとなくその人物が掴めてくるだろう。
デッサンと同じように、
時々本人と見比べることである。
もちろん、魅力的であればあるほど、
あなたはその人を好きになってしまうかも知れない。
しかし気にしないことだ。
観客も、あなたと同じように好きになってしまうからだ。
その恋のごちゃごちゃを上手くいなすには、
ちょっと人生経験を積まないと出来ないけどね。
勿論、とても嫌いな人に関しても同じだ。
同じようにデッサンしよう。
最高の悪役が出来上がるぞ。
実在の人をモデルに、
デッサンしてみるのはとても有意義である。
まずリアルである。
頭の中の架空ぶりを越える、確かなリアリティーがある。
その人が今そうしているのは、未来にこうしようとしているからだ、
なんて頭の中ではまず考えたこともないリアルに、
出会うことが出来たりする。
そのうち、何人かの祖型が、あなたのなかに出来上がる。
これらを組み合わせて、新しい人物を創造していくといいだろう。
他の気に入った既存キャラを混ぜても、
この段階までいけば大丈夫だ。
(どうせ実在の人のほうが強いので)
人間を描くなら、人間をデッサンする。
当たり前だけど、誰もやってないよね。
なのに一発で書けると信じてるのは、
自分を書いちゃうからなんだ。
他人を書くという徹底を、ちゃんとしたほうがいい。
自画像しか描かない画家っていたのかな。
そうならないことだ。
(サイバラはずっと自画像をネタにしながら創作する、
という奇妙なスタイルではあった)
2017年05月30日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック