僕はどうやら文字入力を、
音声言語として打っているくさい。
手書きで書いてるときは字として書いているが、
ローマ字入力ということもあって、
書く言葉より、言う言葉としてタイピングがあるようだ。
それは、誤打鍵や誤変換を修正するときの癖で気づいた。
一文字二文字直すくらいなら、
ガッと消して、きりのいいところから打ち直すことを、
僕はよくやる。
それは、「いい間違えを直す」ことに近いと思ったのだ。
たとえば原稿用紙に書いているとしよう。
間違った字や書き直したい字はどうするか。
間違った所だけ消すだろうね。
文節を消してまた文節を書く、
なんて無駄なことはしないだろう。
だって目の前に字は固定されているからだ。
一方音声の場合、
一度言った文字は消えてなくなっていて、
私たちの脳内の一時記憶にいる。
だからその一時記憶を、
文節ごと上書きするように、
「一ブロック言い直す」はずである。
自分の、
BS連打(または範囲選択して消す)→ブロックから打ち直す、
という癖に最近気づいた。
それはなんとなく気持ち悪いからそうしてたんだけど、
その生理の裏には、
音声言語の言い直しだったんだなと思ったわけだ。
その他の人はどうなんだろ。
原稿用紙の文字みたいに、間違った所だけ直すんだろうか。
音声言語的に直すんだろうか。
ローマ字入力の人は音声言語的で、
かな入力派の人は書き言葉的ではないか、
という仮説をこないだ立てたけど、
消し方や直し方でも分かるかも知れないね。
で、さらに。
僕は原稿用紙だと間違った字だけ消して直すけど、
白紙にフリーハンドで書いてるときは、
実はブロックごと直すような気がする。
筆の流れの繋がりが悪い、などと気にする。
つまり、筆で書くように、
ある文字の最後は次の文字の第一画に繋がるように、
僕は文字をいつも書いている。
(僕は書道はやっていないが、
大阪の高校生で10位に入賞するレベルで筆の使いはうまい)
だから書き文字とはいえ、
僕は「流れ」で文字を手書きで書いている。
こうなると、書くことと言うことはほとんど同じで、
だから僕は、書き文字を書いてなくて、
言う言葉としてペンを動かしている可能性が高い。
つまり。
僕は常に、言っている。
読むときに声が聞こえない癖に、
書くときは言っている。
不思議な話だねえ。
でも、書かれた言葉でも、
目のリズムが悪い言葉はものすごく嫌いだ。
(例:保険の契約書)
ということは、僕はほとんど音声的に言葉を扱っているのかも知れない。
こういうのは、配列作者の特性が反映されるはずだ。
カタナ式はつまり、音の入力と編集に近い。
コントロールキーでバインドした編集モードも、
音節の編集に似ているコマンド群だと思う。
各作者のそういう話が聞けると、
なかなか面白いんでないかねえ。
他言語ではどうなんだろ。
興味は尽きない。
2017年05月31日
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