ストーリーを客観的に、短くまとめることは、
ほんとうに難しい。
なにが本質なのか、なにが芯にあるのか、
それをシンプルで短い言葉に集約するのは、
頑張れば頑張るほど迷路にはまる。
しかし意外と、
バカがその答えにたどり着くことがある。
IQの低さが、逆にそれを単純に見て、
それしか目立つところがないではないか、
と本質をずばりと射抜くことがある。
(毎回とは限らない)
僕はたまに、
大阪のおばちゃんが見たらどう思うかを考えろ、
なんて言ったりする。
大阪のおばちゃんにも分かるように説明してみろ、ともいう。
自分の母親にもそれは分ることかと、
考えを整理するのに使ったりする。
大阪のおばちゃんをバカにするべきではない。
実に本質しか見なくて、
周りのどうでもいいことには興味がない。
だから、本質が旨いかどうかを、見極める。
バカな人間は、それだけ世界が単純だ。
我々は難しいことを沢山して、
その迷路に慣れているものだから、
その単純な世界のことを、
つい忘れてしまったり、
愚かだと馬鹿にしがちだ。
だけど、世界はシンプルで美しくあるべきなのだ。
もし自分の複雑怪奇なものが、
シンプルに真ん中だけ取り出せて、
かつそれが美しいなら、
それは最高ではないか。
私たちは複雑にすることを誇りたがる。
自分がシンプルにできないことの言い訳にもしたりする。
これは子供が理解できるレベルの話ではない、
なんてね。
だけど、
子供のとき見たものが、
大人になってみた時に、
全く違って見えることなんてよくある話だ。
しかし全く魅力がなかったわけではなく、
子供なりに何かを感じていたから最後まで見たのだ。
だから、「子供では理解できないこと」ですら、
子供はそれがシンプルで理解する価値があるかどうかを、
直観的によりわけているような気がする。
そういう風にしよう。
複雑怪奇なことを、
シンプルに言うとこういうことだろ?
と、正解にたどり着けるのは、一部の天才だけである。
我々はそうではないから、
うまくシンプルに本質をとらえられない。
だから、子供になったり、
バカになったり、
大阪のおかんになって、
自分の作品を見てみるといい。
そういうシンプルな、
とても単純にしてみたとき、
それでも自分の作品は、
面白いだろうか?
と自問してみるといい。
あほな女子高生でも、
ほんとうに愚かなのではなく、
世界の真実をそれなりにとらえている。
中途半端な知性が、
世界のシンプルさを複雑にして悦に入っているのだけだ。
複雑にするのは楽しいから、
そういう単純なことを見失ってしまう。
ときどきバカになってみよう。
3のつくときだけでいい。
2017年06月01日
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