2017年06月01日

ものすごいバカとものすごい天才が、同じ結論になることがある

ストーリーを客観的に、短くまとめることは、
ほんとうに難しい。
なにが本質なのか、なにが芯にあるのか、
それをシンプルで短い言葉に集約するのは、
頑張れば頑張るほど迷路にはまる。


しかし意外と、
バカがその答えにたどり着くことがある。
IQの低さが、逆にそれを単純に見て、
それしか目立つところがないではないか、
と本質をずばりと射抜くことがある。
(毎回とは限らない)



僕はたまに、
大阪のおばちゃんが見たらどう思うかを考えろ、
なんて言ったりする。

大阪のおばちゃんにも分かるように説明してみろ、ともいう。
自分の母親にもそれは分ることかと、
考えを整理するのに使ったりする。

大阪のおばちゃんをバカにするべきではない。
実に本質しか見なくて、
周りのどうでもいいことには興味がない。
だから、本質が旨いかどうかを、見極める。

バカな人間は、それだけ世界が単純だ。
我々は難しいことを沢山して、
その迷路に慣れているものだから、
その単純な世界のことを、
つい忘れてしまったり、
愚かだと馬鹿にしがちだ。

だけど、世界はシンプルで美しくあるべきなのだ。
もし自分の複雑怪奇なものが、
シンプルに真ん中だけ取り出せて、
かつそれが美しいなら、
それは最高ではないか。

私たちは複雑にすることを誇りたがる。
自分がシンプルにできないことの言い訳にもしたりする。
これは子供が理解できるレベルの話ではない、
なんてね。

だけど、
子供のとき見たものが、
大人になってみた時に、
全く違って見えることなんてよくある話だ。
しかし全く魅力がなかったわけではなく、
子供なりに何かを感じていたから最後まで見たのだ。
だから、「子供では理解できないこと」ですら、
子供はそれがシンプルで理解する価値があるかどうかを、
直観的によりわけているような気がする。

そういう風にしよう。

複雑怪奇なことを、
シンプルに言うとこういうことだろ?
と、正解にたどり着けるのは、一部の天才だけである。
我々はそうではないから、
うまくシンプルに本質をとらえられない。

だから、子供になったり、
バカになったり、
大阪のおかんになって、
自分の作品を見てみるといい。

そういうシンプルな、
とても単純にしてみたとき、
それでも自分の作品は、
面白いだろうか?
と自問してみるといい。


あほな女子高生でも、
ほんとうに愚かなのではなく、
世界の真実をそれなりにとらえている。
中途半端な知性が、
世界のシンプルさを複雑にして悦に入っているのだけだ。

複雑にするのは楽しいから、
そういう単純なことを見失ってしまう。


ときどきバカになってみよう。
3のつくときだけでいい。
posted by おおおかとしひこ at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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