2017年06月03日

資料探しは、まだ誰もやってないか、確認するためにやるのだ

僕は、資料探しをする人をバカだと考えている。


何か書きたいなあ。
でも面白いこと思いつかないや。
なんか探そう。
今世の中で面白いことはなんだろう。
よし、ネットや本屋で探してみよう。
あるいは誰かを呼び出して話を聞いてみよう。

へえ、そんなことがあるんだ、おもしろーい。
そんなこともあるんだ、おもしろいね。
いや、それじゃまだ詰まらない、もっと面白いことない?

さて、そろそろ面白いネタが沢山たまったぞ。
これらを元になんかできないかな。
使えなかったやつは捨てて、
自分の本当に面白かったと思えるものを残そう。


これは、間違いだ。


なぜなら、「すでにある過去からパクっている」からだ。
ネットのない時代は、
情報の流通には時間差があったので、
鮮度の高いネタをパクれば、フロントラインに立てた。
しかし今は情報が一瞬にして検索できてしまう。
だから、
「誰も知らない面白いものを過去から探す」という行為は、
愚か者の行為である。

なにやったって何かのパクりだし、
ばれないようにマイナーなものからパクれば、そもそもパワーがないからだ。


発想が初手から間違っている。


まず、面白いことを思いつけ。
これってもう誰かがやってるかな、
と、チェックするために検索を使え。

検索の結果、似たようなものが出てきてしまったら、
同じネタでも違うアプローチが出来ないか考えるのもいい。
で、それをまた似たようなものがないか調べるといい。

そのうち、そのネタ周辺で、
どこまでやられてて、どこから掘られていないかが、
分かるようになってくる。



前者の愚か者のやり方は、
既に掘られた他人の鉱脈を探し、残った宝を頂こうという、
盗人の考え方である。

後者のやり方は、
鉱脈は自分のなかにある。
自分が面白いことを思いつけばいいだけだ。
あとはどれだけ似たようなものがあるか、
調べるだけでいい。

過去に似せるか、
過去に似てたら落とすか。

全く真逆の立場である。
どちらが本当に面白いものを作れるか、
結論は明らかだ。


要するに、
自分から面白いことを思いつけないバカが、
過去から資料を探して切り貼るのだ。
才能なきものは死ね。



で、大したことない思いつきを、
大したことないと判断できるか、
すげえ面白いと判断できるかは、
これまでの面白いことの歴史を知らないと、
判断できない。

つまり、暇があったら名作を見て、
面白おかしい毎日を送るのだ。

それが何年か先に、
単なるパクリでない独自の面白さとして、
花開く。


資料探しは、過去から運搬するためにやるのではない。
遥か未来のためにやり、
過去と峻別するためにやる。


企画やんなきゃ、なんかないかな、
とネットを開くやつは、バカである。
ちなみに、その資料探しをプロダクションにタダでやれといい、
それを元に企画を始める広告代理店は、死ぬべきである。
posted by おおおかとしひこ at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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