2017年06月04日

人間を描くということはどういうことか2

前記事のつづき。
ちょっと補足。


ここでいう「人間」は、現実がベースになっている認識です。

ところが最近、問題になっている若者の傾向があります。
それは、「漫画的な世界観をベースに人間はこういうものだと考える」
のようなことです。

映画も文学も、この世界、現実の世界がベースに、
人間や世界の認識を組みたてます。
人間は、と言ったとき、
特定の誰かのことや、抽象的な人類などのことです。

これが、漫画的世界がベースになると、
人間は、の人間が、「キャラ」になってしまうのです。

ツンデレキャラ、熱血キャラ、クールキャラ、
狂気系キャラ、悪キャラ。
なんでもいいんですけど、
漫画的なキャラになりがちなんですね。

ラノベは小説ではない、と僕は考えていますが、
その理由はこれです。
ラノベの「世界」や「人間」は、
この現実世界や人間のことではなく、
漫画的な、アニメ的な、ファンタジー的な、ラノベ的な、
世界や人間をベースにしています。


いま、邦画は絶滅しかけたような気がします。
それは、漫画原作のせいです。
「そんな、マンガじゃあるまいし」
という世界を映画化してしまっているので、
「現実世界がベースに人間や社会を考える」ことが、
邦画からなくなりかけている気がします。
それは子供向けということでしょう。
いい大人なら、
現実に社会問題や身の回りの問題に取り組んでいて、
そのリアリティーがまったくない、
浮世離れした物語には興味を示さないからです。
(もちろん、現実逃避にまったく現実味のないものを求めるときもありますけど)


僕は、「人間」のベースは、現実にとるべきだと考えます。
これは、世界を現実に限定することを意味しません。
たとえファンタジー世界だとしても、
そこにいる人々は、ゲームのNPCのようではなく、
感情や背景をもった、「そこに生きている人」であるべきだということです。


ラノベや漫画は、逆にそのような現実から切り離すことが、
一種の娯楽のようなものです。
あるいは、現実と空想が区別がついていない、
子供のものです。

大人の娯楽たる映画は、
現実と空想が、うまく混ざるべきだと思います。

その配分は、作家次第ですが、
0:100に近いのがラノベや漫画やアニメやゲーム、
100:0がリアリティーショーやドキュメント、
その間が、映画や小説の出番だといえそうです。
posted by おおおかとしひこ at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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