2017年06月08日

フジテレビ「ガリガリ君火星ヤシ味」問題について考える

バカ集団と笑っている場合ではない。
これは日本の構造的問題で、
このせいで日本はやばいはずである。


この問題は、
フジの報道番組が、
ガリガリ君またも新味売り切れ、
というニュースで「火星ヤシ味」なるものを報道したが、
それはネットのコラ画像だったという事件だ。
そういえば、
「オーストラリアを四国のところに持ってきたら違和感ない」
のコラネタ画像を、日本地図として堂々と使い、
嘲笑にあってたな。


まともなやつなら
「裏も取ってないものを、よく使うな」と思うだろう。
どうしてこういうバカなことが起こるのだろうか?
それは、「もう自分達で作ってない」からだ。

「自分達で作る」職場なら、
自分で取材して、自分で裏を取り、自分の確信で報道する。
あたりまえだ。
そしてもし仲間で、裏も取ってないのに流したら、
大目玉を食らうだろう。それでも報道者かと。
下手したら信用問題であり、首である。
(殆どの組織では、上長が減給や降格や更迭で責任を取る)

ところで。
「自分達で作ってない」職場だとどうだろう。
つまり、アウトソーシングをするということだ。
どこかのプロダクションに、
最初はネタ探しだけを頼んでいたのかもしれない。
そのうち、ネタ探しした人がニュースもまとめた方がいいと、
原稿もたのみ、
ついでにVにして編集してもらうところまで、
ワンパッケージで頼んでしまうのだろう。
なぜなら、人は楽をしたいからだ。

まともなプロダクションならば、
ちゃんと取材してちゃんとしたVを作るだろう。
ちゃんとしてるから、それなりの値段を要求するだろう。

ところが。

買い手が、自分達で作ってないと、
その苦労や質が分からなくなる。
だから言う。「高い」と。
そこで、より安いプロダクションに発注する。
自分達で作ってないから、
安いか高いかしかわからない。
安い方がいいに決まってる。
繰り返すが、自分達で作ってないから、質が分からなくなる。

ということで、安いプロダクション、さらに安いプロダクション、
さらに安いプロダクションへ発注する。
プロダクションからしてみれば、
そんなに安い金額で、ちゃんとした取材の人件費なんて出ない。
じゃあコピペですませとくか、
チェックはあんたたちの責任だろ、
というところで生きている。

受け取った、自分達で作ってない人たちは、
どういう問題がありえるか、
想像することが出来ない。
だからチェックと言われても、何をチェックしていいか分からない。


こうして、
誰もが「裏ぐらいとれや」と思う、
バカみたいなニュースが流れる。

原因はなにか?
自分達で作ってないことだ。
作ることに関する問題を、何一つ経験しないで、
育ってしまったことだ。
安いプロダクションを買うことには成長したかもしれないが、
その質は、どうやって作るかを忘れてしまったのだ。



韓流押しのころ、
フジテレビの社員は、
「自局で作るより、買ってきた方が安くなる」
と韓流を誉めていた。
僕は正気かと思った。
自分達で作ることの、誇りや扱う責任を、
安さで放棄した瞬間だ。

これは、映画にも言えることだ。
オリジナル企画を開発する人は、
もうほとんどいない。
原作の買い付けマシーンが、プロデューサーのメイン仕事になっている。
脚本を書くときの問題
(それはこのブログ全て以上の情報量だ)
を、何一つ知らないまま、買い付け家として、
いっぱしの社会人になってしまう。


家電でも同じだろう。
技術者は海外へ行ってしまった。
工場はもうない。
部品を削り出して、自分で組み立てて、設計と現実の折り合いをつけるような、
地道で泥沼の作業経験がないまま、
アウトソーシングする買い付け家として、
本社の中にのうのうといるわけだ。

家電の魂は技術だ。
日本は、空洞化したわけだ。


僕は、金融とか株にも、この空洞を感じる。
金は労力や価値の対価だ。
しかし投資は、金を種に金をふやす。
それは、種の空洞化だと思う。



さて。
もうテレビはダメだろう。
自分達で作ってない。
家電もダメだろう。
自分達で作ってない。
グーグルは、自分達で作らず、
自分で作る会社を買収して吸収して、
大きくなってきた。
それって、ガン細胞に似てるね。
吸収するべき健康な肉体がなくなったら、
本体ごと死ぬ。それがガンだ。

フジテレビは、高給取りたちがそのガンだろう。
アウトソーシングして上がりを掠める、
右から来たものを左に受け流す商売の人々だ。
ほろびよ。


手に職をつけてる人が一番偉い。
空洞化してるやつは、全員死ね。
若者は、楽して稼ぎたいんだって?
つまり、ガン細胞になりたいのか。
じゃあ死ぬよね。


さて。

映画は、どうかな。
火星ヤシ味に騙されるのかね?
そういえば、テラフォーマーズという火星ヤシ味があったよね。
デビルマンでもいいぞ。
posted by おおおかとしひこ at 01:32| Comment(6) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
自分で作ってないといえば話題の草間弥生展も発注仕事だと睨んでいます…(未裏取り)
Posted by みや・でぃぞん at 2017年06月08日 08:48
みや・でぃぞんさまコメントありがとうございます。

展覧会のほうなのか、作品のほうなのか文面からは分からないのですが、
草間彌生本人はずっとあの調子の作品を作ってますよ。
アウトサイダーアートというジャンルです。
誤解を恐れずにいうと、心が壊れている人の作品。
ギリギリの芸術。
岡本太郎もバスキアもそうですね。
ジミー大西も片足つっこんでいます。
彼らは芸術家であることでお金を稼げているので、
社会に足場をもてている、稀有な例ですね。
闇を覗くと闇に覗かれるので、覚悟の上でアウトサイダーアートを調べてみてください。適量以上は勧めません。

僕もああいう色使いが好きなので、
画風を真似することは出来ますが、
彼らほど取りつかれたように創ることは出来ないですねえ。
そのエネルギーこそ人間の本質のひとつ。
あの人の場合、ネタとして分かりやすいから時々取り上げられてますね。(昔の写真は美人)

展覧会で何か起こったのなら、それは知らない。
調べてもいつもの草間彌生しか出てこなかった。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年06月08日 09:37
大岡様 出版社もまさにこれです。一例を挙げると、「なろう小説」投稿者の青田買いはかなりイってます。
Posted by すーざん at 2017年06月08日 14:26
すーざんさんコメントありがとうございます。

もう日本全体がこうなってますね。
飲食業は自分達で作ってるかと思いきや、
レンチンで出す安い店もあるものね。

なぜそうなるかというと、
楽がよくて、痛いのはいやだからでしょう。
僕が脚本添削スペシャルをやるのも、
痛い目にあってほしいからです。
どういう問題が起こるか、経験してほしいからです。
さらにいうと、それで成長してほしいからです。

その出版社のやつに、
1万字ぐらいのエッセイ書かせてみれば、
ただのでくの坊だと正体がばれるでしょうね。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年06月08日 14:57
大岡様 返信ありがとうございました。言外に日本の行く末の寒さを感じました。刈り尽くした後はどうするつもりなのでしょうか。ちなみにデビルマンのプロデューサーですが、最近では「ポッピンQ」という劇場アニメのプロデュースもしています(「君の名は」と同時期に公開していました。爆死、です)。お時間がありましたら、ご覧になって下さい。

Posted by すーざん at 2017年06月09日 03:27
すーざんさんコメントありがとうございます。

もう狩り尽くされている、というのが僕の見方です。
この先は映画館や本屋がなくなってゆき、
全てネットに移行するでしょう。
主に維持費の問題(コストとリターンの釣り合い)で、です。

で、ネットフリックスなどを見ると分かりますが、
「オリジナルを作るリスクと得られるリターンより、
名作を置いておくリスクとリターンの方が効率的」
になるのです。
膨大な名作を買ってくるほうが、トータルで安い。

アレクサンドラの大図書館を焼き払ったのは、
軍人ではなく、新しいものを書く場所がなかった、
作家だったのかもしれません。
(同じ暗い欲望を、僕は原作ナウシカのラストに見ています。
僕は本屋やレンタルビデオ屋にいくと、
たまに自分の作品がここにあったとしても、
見つけてもらえないだろうという迷子の気分を味わいます)
Posted by おおおかとしひこ at 2017年06月09日 08:44
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