2017年06月08日

テーマと説得

テーマとはテーゼ(主張、命題)の形をしている、
というのは、このブログの基本主張である。

そのテーマを、一回も明言せず、
ストーリー(事件から解決までの一連)を通じて、
暗示することが、物語である。

さて、そのテーマは、
普通なのか、突飛なものか、
納得いくものか、納得いかないものか。



今4通りのものを言おうとしている。

テーマが
1普通(平凡)だけど、納得のいくもの。
2突飛だけど、納得のいくもの。
3普通(平凡)だけど、納得のいかないもの。
4突飛で、納得もいかないもの。

まず、テーマが普通(平凡)なのは、
悪いわけではない。
若い頃は、突飛なテーマで尖ってやろうとするものだ。
「人間はくそだ」なんてのは、
若者の大好きなテーマだ。
「愛と勇気が大事」なんて、馬鹿馬鹿しくて言えねえよ、
なんて思うものね。

それよりも何よりも、
実際に大事なのは、
心のそこから納得がいくストーリーになっているか、
ということだと僕は思う。

どんなテーマであれ、
そのテーマが全然真だと思えないのなら、
それは、ストーリーという説得が、失敗しているわけだ。

テーマとストーリーの関係は、
主張と説得の関係と同じである。
観客の心が、主張に染まったとき、説得は成功するわけだ。
どうやって染まるのか。
理性で納得したとき、
心から分かったとき、
深く腑に落ちたとき、
などなどだろう。
しかも、ストーリーと説得の違いは、
間接的か直接的かである。

直接的説得では、
「怠け心は良くない」と、言葉でいうが、
ストーリーによる説得では、
それを一言も言わずに、
起承転結でするわけだ。
(ドラえもんの殆どの話は、
この形式である)


それが、どのような主張であろうと、
説得さえうまければ、
そのように心を変えることが出来るだろう。

たとえ自分の主義主張や信条や直感や経験や宗教と、
反するとしてもだ。

営業という職種は、
ふだんは嘘を含む言葉で、
時に接待を含む偽の友情で、
最終的に財布を開かせる職業である。

その営業の技能は、
相手に受け入れがたい主張を、
どれだけ納得させられるか、
ということに比例するべきだ。
(にも関わらず、バカなことに、
営業は売り上げで評価される。
売れるものを大量に売るのが営業の仕事ではない。
売れにくいものを上手に売るのが営業の仕事だ。
そこには、直接的間接的説得の技能が存在する)

それを、ストーリーでやるのが、
私たちの仕事である。


受け入れやすい主張を、
心から納得いくようにするのは、上手なストーリーテラーだ。
これを王道という。

受け入れにくい突飛な主張であるが、
心から納得いくほどの、突飛だけれど深いストーリーを作るのは、
開拓者である。

どちらを選んでもよい。
どちらも難しい。


やってはいけないことは、
平凡で受け入れやすい主張にも関わらず、
心から納得いくように出来ていない話だ。
それは、退屈で詰まらないだろう。

さらに、
突飛でとても社会常識に反するくせに、
それを受け入れがたく作っているのは、
ただの反抗でしかない。
それはワガママとか、独りよがりとか言われる。


受け入れにくい主張を、
より受け入れやすい主張にするべきだという批判は、
間違っている。
それは妥協をせよという、バカの主張だ。
より納得しやすい物語に改変せよ、
という批判なら正しい。
主張を変えるのではなく、
納得プロセスを、作り直すべきだ。

受け入れやすい主張を、
手垢のついてない新鮮なテーマにせよという批判も、
同じく的はずれである。
納得が心からいくように、
もっと深くせよ、というのが正しい批判である。


テーマは自由だ。

問題は、それが腑に落ちるように作られているかどうかだ。


それが難しいから、
腑に落ちやすいテーマを選ばなくては、
なかなかに難しいだろう。
ギリギリのラインを狙う、テクニカルなものになるだろう。

でもそれじゃあ、ただのニッチなんだよね。

そのテーマをどれだけ本気で考えたか。
そのテーマはどのようにして人々に受け入れられるのか。
そのテーマを聞いたとき、多くの人がする反応。
その拒絶をどう緩ませていくか。
警戒心を解き、
心の琴線にどう触れられるか。
それらが、プロセスとして作られていない限り、
それは詰まらない話なのだ。
posted by おおおかとしひこ at 14:39| Comment(3) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
趣味で創作をしている者です。
あるとき大岡俊彦さんのブログを見つけ、『脚本論』を読んで毎度感動しております。どのお話も内容がとても深く、この記事にあるとおり“納得”させられてしまいます。物語とはこういうものだ、テーマとはこうだ、人物とは……と読みながら、自分の考える物語はどうだろうと問いかけられます。
どうすれば自分の世界が面白くなるかなと普段から常々考える自分にとって、この『脚本論』はとても刺激的で意味のあるものになります。記事一つ一つ保存して何度も読みたいほどです。

今後もこのブログを読んでいきたいと思いました。毎日でないとしても気が向いた時に。言ってしまえば、これから自分は誰かの価値観に影響を受け続けながらそれと並行でオリジナルを名乗り続けるかも知れないという、ある種の罪に等しいような気もします(笑)
ほぼ衝動的にこの書き込みをしていて、全く腑に落ちない文章で大変失礼しますが、これからも応援しています。
Posted by 雨毛 at 2017年06月09日 03:32
雨毛さんコメントありがとうございます。

趣味の創作はいいですよね。
でも僕は、他のことをやりながら創作は無理だと思って、
創作だけを一生やろうと思ってしまいました。
趣味にとどめておけば、もっと無責任に言えたのになあ。(笑)

創作は危険な麻薬です。
楽しいですけど、深みにはまると死にます。
芥川龍之介のように。
深淵を覗いたときに、深淵に覗かれます。
そのときに魅入られずに、
「深淵と私は同一であり、別々でもある」
と確認できるほどの、客観性を、持っていたいと思います。

こういう座礁や急流があるのだよ、
みたいなベテラン漁師のような言葉に、
このブログがなるといいなあと思っております。
ほとんど自分が実戦で考えてきたことで、
その先へ行くにはどうすればいいかを、最近考えています。

ひとつアドバイスをすると、
同程度の実力の創作仲間を作るといいですよ。
悩みが同じレベルだとぶっちゃけやすいので。
僕は不幸にもそういう人がいなかったので、
逆に一人で考えてきたのですが。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年06月09日 08:54
お返事、アドバイスありがとうございます。
創作を趣味にするか、仕事にするかで見えるところも違うのでしょうね…。僕の場合は趣味でありながら生き様のようでもあり、“創作している自分自身”についても考えることを忘れてしまうと本当に死んでしまいそうなので(汗)、肝に銘じたいと思います。
確かに話せる仲間がいることは大切だなとよくわかります。まずは己の実力を把握してから、好き勝手にやってきたいです。
Posted by 雨毛 at 2017年06月09日 16:14
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