2017年06月12日

助手のほうが優秀じゃなきゃいけないというパラドックス

日本では多くの場合、
メインの人に助手がつくシステムでは、
助手のほうが年下で、入ったばかりで、
いずれメインになり、新しい助手が入る、
というシステムになっていることが多い。

でもさ、
実質、助手のほうが優秀なほうが、
仕事は効率がいいんだよな。


「ゴッドハンド輝」というマガジンの医者漫画があって、
主人公輝の助手時代が面白かった。
手術をする医師の使う道具を、
手元のテーブルに並べておくのが助手の仕事だ。
それは適当に並べるのでは効率が悪く、
「使う順番に並べる」のが最もいい。

でもそれには、
手術はどういう段取りで進めて終わらせるか、
という、手術する人のことを全部分かってないと出来ない。
つまり、助手は、メインの人以上の力量がいる。
(主人公の優秀ぶりを示すエピソードではあったけど)


車のドライバーと助手席の関係も同じだ。
運転者がどうするのかを分かって、
ナビゲーターは指示を出す。

ピッチャーとキャッチャーでは、
一見ピッチャーがメインに見えるけど、
リードしてるのはキャッチャーだろう。

つまり、こういう場面での助手は、
出来ない人、入ったばかりの人では、
務まらない。

映像の世界も似たようなものだ。
監督と助監督も同じで、
カメラマンとチーフも同じで、
ミキサーとチーフも同じだったりする。
(現場や人によって違うこともある)

脚本はどうだろ。
一人で書くので助手の仕事はとくにないか。
下調べかな。
でも下調べなんて、
書く本人がやるべきことで、
もし助手が下調べするならば、
作家の一番大事なところ、「観点」が必要なことになってしまう。


助手が雑務であるような、仕事もあるかも知れない。
あるいは表裏一体の、仕事もあるかも知れない。

餅つきはどっちだ。
杵と臼は、対等でないとリズムが合わない。
どっちが力持ちかで、
配分が変わるかも知れない程度で、
杵と臼のどっちがメインとかないかな。
「餅」がメインなら臼がメイン、
「つき」がメインなら杵がメインかも知れないが、
「餅つき」とくっつけるあたりに、
日本語の面白さがあるよね。



何が言いたいかというと、
これは人間関係や、
物語の進行の仕方に、
とても関係しているということ。

メインと思われる人、
助手と思われる人が、
必ずしもメインとサブの仕事をするとは限らない、
むしろ逆もある、ということ。


真のメインどころを主人公にしないと、
意味がないんだよ。



だから、監督を主人公にする物語は、
助監督の大切さを知らない人が書いてるんだなあ、
って、僕なら思ってしまう。

ちなみに助監督の主な仕事は、
スケジューリングと予算管理である。
監督がどれくらいの工程をかけて、
どれくらいの軽重で進めるかを知らないと、
それをシミュレートしてスケジューリング出来ないのだ。
優秀な助監督ならば、
監督が4日かかると踏んだロケ地が、
3日しか撮れないと分かったら、
4日借りれるように手配するものである。
それを「3日で撮ってください」という無能がとても多い。
あるいは、「3日しか借りれないので、
残り1日分はこうやれば別場所で撮れるのでは」と提案するのが、
優秀な助監督である。
このとき、現場を支配しているのは、助監督である。
つまり監督よりも助監督が主人公である。

ゴッドハンド輝も、輝が助手時代のほうが主人公感があった。

助手は、アシスタントや年下や未成年ではないということだ。



(一方、漫画家はどうだろ。
背景やモブを描く助手は、メインだろうか?
杵と臼の関係に似てるかもね。
でもアシスタントで優秀な人だったんだろな、
という人ほど、メインの人物に魅力がなかったりするよね。
難しいところだな)
posted by おおおかとしひこ at 13:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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