2017年06月16日

デジタルは人を幸せにしない: 入力の歴史をまとめてみる

この20年、原稿を書くためにどういうツールを使ってきたか、
単純に一覧表を作ってみた。


OS/エディタ/IME/配列

Unix/emacsとTex/Wnn/QWERTYローマ字(学生時代)

Mac9/シンプルテキスト/ことえり/QWERTYローマ字
Mac9/ワード/ことえり/QWERTYローマ字
ケータイ/i-modeメール/(予測入力)/ベル打ち
Win/ワード/MS-IME/QWERTYローマ字
MacX/イラレまたはワード/ATOK/QWERTYローマ字
Android/メールやブログ/(予測入力)/フリック
Win/ワード/MS-IME/カタナ式
Win/タテエディタ/MS-IME/カタナ式

これらは、同時平行したりオーバーラップしている。
たとえば、MacとWinは会社で併用するし、
ブログはほとんどフリックで書いている。
シンプルテキストはリッチフォーマットになってから使わなくなった。

見ればわかるけど、
カタナ式を導入する前は、デフォルトを使ってきたわけだ。
20年で、日本語を書くのに、
これだけのことをマスターしなきゃいけないわけだ。


一方、
コンテや企画を書くときや考えるとき、第一稿は、
考えるとき:青ボールペン
下書き:鉛筆2Bと消しゴム
清書:黒ボールペンと修正液
(プロになってから、マジックとコピー機とカッターと貼って剥がせる糊)
これは20年変わらない。



デジタルって、ほんとに人を幸せにしてんの?
マスターして練る時間は、デジタルのほうがかかってるぜ。
だってフォーマットやプラットホーム変化のほうが激しいんですもの。
適応にコストがかかってるし、その適応はあとに生きてない。
「練る」という行為は、アナログの行為かも知れないね。

仮にプラットホームが安定したとしよう。
だとしても、
デジタルは流通コストを下げることには寄与しても、
内容の質を上げることには寄与してないよね?
(若いやつはコンピューターの使い方に習熟するのに時間をかけすぎて、
何を作るかのほうに時間をかけていない。
鉛筆の使い方がうまくなっても文章はうまくならない。
鉄の熱い時間は有限だ)

流通コストが圧縮されたぶん、
結果、安いノイズばかりになったよね?
誰もが命名する(創作の一種)ようになって、
DQNネームが増えてきたことと相似形だよね?


私たちは、デジタルで、貧しくなったんじゃない?
posted by おおおかとしひこ at 07:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック