配列づくりにおいて、
日本語のn-gramを考えに入れるのは当然だ。
しかし、考えすぎても、
創作打鍵(創作文を打つ時)には
大して意味がないのではないかと思うようになった。
なぜならば、創作打鍵は、
これまでにない文章を書こうとするからだ。
n-gramとは、
何の文字の後には何の文字が来るのか、
ということを研究するものである。
キーボードの配列を設計するとき、
まずひとつの文字の出現率をしらべ、
出現率の高い文字を打ちやすいキーに配置する。
(1-gram)。
ある文字の後に来やすい文字があれば、
その文字から連続して打ちやすい位置にその文字を置く
(2-gram)。
さらにそのあとの文字の出現率……(3-gram, 4-gram……)
と考慮に入れる。
開発に十年かかったという飛鳥配列では、
基本このことをひたすらやり、
指がその流れがやりやすいかどうかだけを評価してつくったそうだ。
それは、
「確率的に多くあらわれる流れを、
確率的に打ちやすくするように最大化」
という設計思想であるということだ。
一見最も合理的に思われるこの考え方が、
こと創作文を打っていくときには、
それほど意味がないかもしれないと思うようになった。
なぜなら、
創作とは、今までにないものを作ることだからだ。
確率的に現れるn-gramとは、創作の立場からみたら、
「よく見る、ベタな、平凡な言葉の流れ」
にすぎないということ。
平均的な言葉の流れなど、
創作には敵である。
創作は、新しい言葉の流れを作ることだからだ。
もちろん、
数文字単位でそのことが影響するとは限らない。
もっと大きな流れでしか影響しないかも知れない。
いまのところ、どっちかも結論できない。
というのも、
カタナ式で最近高速打鍵できるようになってきて、
指が思考よりも先行していることが、
たまにあることに気づいたからである。
指は運動記憶にもとづいて、
確率の高いことをやろうとする。
フライが上がれば、
落下地点を頭で予測して動くのではなく、
体が先に動いて、動く途中で微調整して取るものである。
むしろ頭で考えていたらフライは取れない。
これと同様のことが打鍵中にたまに起こる。
指が、勝手にこのへんに落ちるだろうと、
先に走っていることがあるのだ。
だから先にうっかりキーを押してしまい、
ミスタイプになることが、
最近とても増えている。
そうだよね、ベタな流れではそっちだよな、
と、指の判断を、あとで理性で理解するわけである。
頭ではベタを避けて、別の流れを打とうとする。
指は確率の高い流れ、すなわちベタを打とうとする。
それがケンカしたとき、ミスタイプが頻発する。
どっちも、間違ってはいない。
このへんの話は、
あまり配列作者の談話は聞いたことがない。
僕の調査不足かも知れないけれど、
「ベタな流れなら得意だが、それ以外の言葉が来たら弱い」
と名乗る配列に出会ったこともない。
(カタナ式は、はっきりと外来語の流れに弱いことを言っている。
それは、そもそも目的であるところの脚本や小説で、
外来語の頻発はまずあり得ないからである)
つまり日本語配列の開発は、
その領域までいってないのかもしれない。
定型文は強い。
外国旅行のときには重宝だ。
しかしそれは子供でも言える、
ベタな言葉なんだろう。
私たちは、定型文をいまさら発するのが仕事ではない。
ということは定型文ベースの配列を使って、
作品をつくったって、
たいして効率が良くない、ということになる。
もちろん、
「多くの文はよくある流れで、
一部だけ独特の言い回しになる」
のがいい文章の可能性もあるから、
n-gramに配慮した配列はやはり有用なのかもしれないが。
ということで、
カタナ式の配列をこれ以上改良しても、
たいして意味はないのだろうな、と思う。
もう十分に合理的な指の流れで、
これ以上は劇的に変わることもないだろう。
こないだ、
デモンストレーション用に、
なにか歌でも打ってみようと思い、
中島みゆきの「地上の星」と小田和正の「たしかなこと」
を打ってみた。
前者が段越えが圧倒的に多くて打ちにくく、
後者がとても打ちやすかった。
子音の流れの差であった。
しかし書く前から、
この流れは子音の流れが打ちにくいからやめよう、
ということはないだろう。
(いや、カタナ式に習熟したら、そういう指の判断はあるのかなあ)
ということは、
あまり子音や母音の流れに、
こだわりすぎる意味はないかも、
と思ったのである。
(もっとも、カタナ式の配列はまだ不完全で、
両者とも打ちやすい流れを実現するキー配列は、
あり得るのかもしれないが)
なにかを打ちやすいということは、
なにかを打ちにくいということだ。
確率的に天文学的にしか出て来なくても、
それを書くことが創作の本質だ。
工学的な、最大多数の最大幸福的平均は、
あまり重視しすぎても得はないかもしれない。
定型文の多い論文などでは、
この考え方はなお有効かもしれない。
カタナ式は、じゃあ創作打鍵に有効な配列か、
と言われると、うーん頑張ります、とおれが答えを出すしかないのだろうね。
2017年06月16日
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