2017年06月16日

アウトラインプロセッサ2:論理の組み立てと、お話の組み立ては違う

そもそもアウトラインプロセッサが、
なぜストーリーを書くのに適さないと僕は思うのか。

それは論理と話の組み立て方が異なるからで、
論理の組み立てにはアウトラインプロセッサがいいかもしれないが、
話の組み立てには適さないからである。


論理はどうやって組み立てるのか。
前提があり、結論がある。
その間の筋道を埋める。

あるいは、結論から考えて、
それが成り立つ前提(限定条件)を考えて、
論を展開して結論に至る。

(詭弁や詐欺は、
限定条件をとても狭く設定しておいて、
さもどんな条件でも成り立つように言うことだ。
たとえば殆どのガン保険は、
「ガンで死亡したときのみ満額もらえる」のだが、
実際にガンにかかって死ぬときは、
死因はガンではない。合併症などが主たる死因である。
ガンは原因であるにも関わらず、
死因にはならないので、ガン保険は殆どが満額おりないらしい。
それは詐欺で詭弁だ。約款に細かく書いてあってもね)


前提、展開、結論の構造があるのは、
ストーリーにとても似ている。
前から終わりまで、一本の筋道があるのも、
ストーリーにとても似ている。
しかしこの論理の組み立て方は、ストーリーの組み立て方ではない。

論理を組み立てるときは、
頭と尻を固定して、
間の展開を作る。
論理が進まないなら、
頭と尻を微調整して、
一本の論理が通るように直したりする。
そうこうするうちに、
頭と尻をつなぐ、一本の筋道が見える。
大概それは特殊な条件下でしか成立しないから、
それを更に一般的に出来ないか、
前提条件を変えたり、結論の言い方を工夫したりする。

つまり、
「論理展開が保存されて、
前提条件と結論を調整する」
ことが、論理を組み立てることである。

アウトラインプロセッサは、
まさにこの論理構造のアウトラインを形作るのに向いている。
章だてをして、
その章を入れ替えたり、分解したり、
なくしたり、復活させたりして、
最初の前提と最後の結論を調整して、
順に展開して最後の結論に至るような、
必要十分な論理の糸を見つける。

このアウトラインを考えて、
矛盾なく成立するかどうかを考えることが、
論理を組み立てるということだ。


ストーリーを作るときはどうだろう。
前提条件と結論をまず作るだろうか?
違うよね。
この入り口から、まず間違いだ。
テーマから作るストーリーは、説教にしかならない。
それは面白味のない、校長の話だ。
普通は、「面白いシチュエーション」から入るはずだ。

それを生かすために、どこから入るのか、
はじめてそこで前提が作られる。
で、結論はどうなるだろうと考えられる。
前提と結論が出来たら、
ここからは論理を組み立てることと同じである。
前提と結論を微調整してゆき、
論理構造が通るかどうかを考える。

ところが。

よいストーリーを作るのは、これが本質ではない。
正確に言うと、これは絶対必要なことのひとつに過ぎない。
もうひとつ、最も重要なことがある。
「それは、面白いか?」だ。

ストーリーは、まず面白いかどうかだ。

論理は、面白いかどうかを気にしない。
論理的整合性を最も気にする。
面白いかどうかは、前提と結論のペアで決まる。

ところが、ストーリーの面白さはそれでは決まらない。
勿論、矛盾のない論理的整合性は、ストーリーに絶対必要なものであるが、
そもそも面白いかのほうが、絶対必要なものである。

ここでは、何が面白さかについて、深入りしない。
ストーリーは、論理的整合性+面白いかどうか、
が問われ、かつ、面白さのほうが優先だ。
(矛盾してても面白いものは、
矛盾がなくても詰まらないものより、遥かに立場が上だ。
勿論最上は矛盾なく面白いものだ)

アウトラインプロセッサは、
つまり論理的整合性を組み立てることには適していても、
ストーリーの面白さには寄与しない。

逆に言えば、
ストーリーの面白さは、論理的整合性の面白さではない。



だから、アウトラインプロセッサを使って、
ストーリーを作ることには、なんの意味もない。
ないどころか、害にしかならない。

だって一番大事なものが抜け落ちているのに、
アウトラインプロセッサを使っていると、
何か出来たような全能感があるからである。
デジタルの最も害は、僕はこの全能感だと思っている。
周囲が見えないように何故かなってしまうのだ。
(ネットの争いも、ほとんど全能感vs全能感だといってよい)

だから足りないのに出来た気になるという、
ただその一点において、
アウトラインプロセッサは、
ストーリーを書く道具としては、百害である。


これらの特徴を知り、
アウトラインプロセッサを単なる一道具として使役するのなら、
特に止めやしない。
道具に使われなきゃいいだけだ。

そもそも、ストーリーの全体像は、
論理展開の筋では示せないよね。
ああなってこうなって最終的にはこうなった、
が、ストーリーの面白さではないよね。

あらすじはそうやって書くものじゃない。
もっと、何がオリジナルなことかについて、書くものだ。
posted by おおおかとしひこ at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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