一番贅沢な客なら、こういうのだ。
「そんなつまんねえもの、俺の前に持ってくるんじゃねえよ。
俺は今までもっとすげえものいっぱい見てきたんだよ。
それに最低限匹敵して、できればそれ以上のものを見せてみろよ」
と。
素晴らしい料理人こそ、最もグルメであるべきなのと同じだ。
不味いものしか食ったことのない料理人が、
旨いものが作れるはずがない。
それは、舌で最後判断するからである。
料理人でたとえれば明らかなこんなことも、
こと自分の表現となると目が曇る。
料理人がものすごいグルメ舌で、
自分の料理を食べてみて、
不味いと直感的に思っても、
「いや、苦労して作ったので、
これはなかなかである」
と主張するようなものである。
それは、舌か、脳か、どちらかが嘘をついているのである。
そもそもそれは、
受けとるに値する面白いものなのか。
受けとるに値する価値ある情報なのか。
なくてもいいんじゃないのか。
必需品ぐらい必要なのか。
ぽこっとしたエアポケットにはまれば最高なのか。
まあちょっと幸せになる程度か。
心を鷲掴みにされ、一生トラウマになるほどの衝撃か。
世界を変えるほどの価値のある含蓄があるのか。
ライフハックくらいの小ネタか。
あなたは、他人の作ったものを並べて、
贅沢にも、一番いい皿から食べて行く。
そうでなければならない。
そんな自分が欲しいほどのものを作らなくてはならない。
出来ないのなら、才能がないか、
あなたが一番贅沢ではないのだ。
グルメ舌になればなるほど、
自分の表現へのダメ出しばかりになる。
批評が自分を傷つける刃になる。
しかし、価値のないものは捨ててしかるべきであることを、
常にグルメ舌の立場から冷静に見ることだ。
そんな一番贅沢な自分が、
なかなかええんちゃう、
というようなものが出来たら、
それは、なかなかええんちゃうかね。
(てんぐ探偵を一年かけて発表してきました。
最終回57話に向けて、特に四章入ってからは、
なかなかええんちゃう、というものになっていると思います。
僕はあくまで小説の最高の贅沢をしてないので、
映画的漫画的な視点での判断ですが)
2017年06月18日
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