2017年06月18日

表現の基本:自分が一番贅沢な客になること

一番贅沢な客なら、こういうのだ。
「そんなつまんねえもの、俺の前に持ってくるんじゃねえよ。
俺は今までもっとすげえものいっぱい見てきたんだよ。
それに最低限匹敵して、できればそれ以上のものを見せてみろよ」
と。

素晴らしい料理人こそ、最もグルメであるべきなのと同じだ。
不味いものしか食ったことのない料理人が、
旨いものが作れるはずがない。
それは、舌で最後判断するからである。


料理人でたとえれば明らかなこんなことも、
こと自分の表現となると目が曇る。

料理人がものすごいグルメ舌で、
自分の料理を食べてみて、
不味いと直感的に思っても、
「いや、苦労して作ったので、
これはなかなかである」
と主張するようなものである。

それは、舌か、脳か、どちらかが嘘をついているのである。



そもそもそれは、
受けとるに値する面白いものなのか。
受けとるに値する価値ある情報なのか。
なくてもいいんじゃないのか。
必需品ぐらい必要なのか。
ぽこっとしたエアポケットにはまれば最高なのか。
まあちょっと幸せになる程度か。
心を鷲掴みにされ、一生トラウマになるほどの衝撃か。
世界を変えるほどの価値のある含蓄があるのか。
ライフハックくらいの小ネタか。

あなたは、他人の作ったものを並べて、
贅沢にも、一番いい皿から食べて行く。
そうでなければならない。

そんな自分が欲しいほどのものを作らなくてはならない。

出来ないのなら、才能がないか、
あなたが一番贅沢ではないのだ。

グルメ舌になればなるほど、
自分の表現へのダメ出しばかりになる。
批評が自分を傷つける刃になる。
しかし、価値のないものは捨ててしかるべきであることを、
常にグルメ舌の立場から冷静に見ることだ。


そんな一番贅沢な自分が、
なかなかええんちゃう、
というようなものが出来たら、
それは、なかなかええんちゃうかね。





(てんぐ探偵を一年かけて発表してきました。
最終回57話に向けて、特に四章入ってからは、
なかなかええんちゃう、というものになっていると思います。
僕はあくまで小説の最高の贅沢をしてないので、
映画的漫画的な視点での判断ですが)
posted by おおおかとしひこ at 12:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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