2017年06月18日

創作打鍵とn-gram2

じゃあ日本語の流れの頻度を意識しないのは合理的ではないのか?
それは、「創作文において、
どの程度平均的な言葉の流れが出現するか?」
という問いへの答えになるだろう。

それはたとえば、
「文章のなかに何割ぐらい漢字が混ざるのがいいのか?」
みたいなことと似ている。
(読みやすいのは3割前後と言われている)


M式はとても漢語に強い行段系配列だ。
しかし漢字割合が3割なら、
3割しかその強みの出番がない。
それをすごいと見るか、
言うほどでもないかと見るかである。

カナ配列を作る人には、
数%どころか、小数点%の出現率を考慮に入れる人もいる。
でもそれは、
平均的な日本語を打つことが前提の出現率だ。

創作文における、通常の日本語にはない流れは、
どれくらいの割合が適当なのだろうね。
漢字ぐらいかなあ。

だとしたら、7割は平均的な日本語の流れが出現するから、
それが打ちやすい配列であることは、
やはり合理的かもしれない。

独特な言い回しばかりする人は、
特殊な流れが多くて、
平易な言葉を使おうとする人は、
普通の流れが多いのだろう。

頭のよい人ほど、
シンプルな言葉でなるべく平易に言おうとする、らしい。

じゃあやっぱり、平均的な日本語を流暢に打てるのが、
配列としてはいいのかも知れないね。

たとえば町田康とか椎名林檎とかみたいな、
特殊な言葉づかいなのか、
糸井重里や川端康成みたいな、
平易な言葉づかいなのかで、
最適な配列は変わってくると思う。
開発した当人がベストの使用者である、
なんてことはよく言われるそうだ。

つまりカタナ式は、僕のような文章に強い配列、ということになる。
ちょいちょい癖はあるけど、
割と平均的な日本語だとは思う。
posted by おおおかとしひこ at 14:14| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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