2017年06月25日

奇抜なことをすれば勝ちか

奇抜なことは目立つ。
目立てば勝ちか。
そうではない。

奇抜なことで目立っておいて、
実はそこに王道が隠されていた、
というのが本物である。


王道というのは、
実は一番難しい。
きっちりと構成し、
全てのことがテーマに集約するように、
矛盾なく首尾一貫していなければならない。
しかしそれだけでは鈍重だから、
奇抜の力を借りる。

奇抜で人の目を引いておいて、
王道に着地させて満足させる。

つまり、
奇抜は人の目を引くのに、
王道は満足させるためにある。

奇抜だけだと、人の目を引くが、満足がない。
王道だけだと、人の目を引かないから見られない。
(最後まで見れば、満足する)

どっちかに片寄ってはダメだ、
というのではなく、
両方ないとダメだ、
という話をしている。

奇抜は流行である。
その時代の気分だ。
今の気分はそれだが、来年は別の気分だろう。
昔のファッションや歌は、
今見ると痛い。
でもそのときは、みんながこぞって飛びつき、
みんなが今の俺はこれだと同じ気分になったものだ。
奇抜は流行である。
流行の当たりを引くまで、乱れうちをしなければならない。
あるいは流行に敏感な若者の感性を保ち続ければ、
これが今の気分だとか、判断できる。
ずっと奇抜でいつづけることは難しい。

奇抜だからいいわけではない。
奇抜なだけでは、ぺらっぺらに薄っぺらい。
しかし時代の気分の奇抜がないと、
目立って注目されることはない。
(注目とは、満足の前の現象である)


奇抜は、以下のようなところに多い。
オープニング、最初のシチュエーション、
お楽しみポイント、タイトル。
ジャンル、モチーフ、Bストーリー(サブプロット)
ツイスト(流れが大きく変わるターニングポイント)
小さな障害。
セリフ。人々の考え方。

王道は、以下のようなところに多い。
主人公の目的や動機、渇き、内的目的、
テーマ、クライマックス、ラストシーン、
主人公の選択、行動、反応、考え、
メインコンフリクト、Aストーリー、
第一ターニングポイント、第二ターニングポイント。
ピンチポイント。
(ミッドポイントは、奇抜に属することが多い)
(タイトルは、こちらに属することもある)


映画の予告編はたいてい二つ作る。
特報と本予告である。
特報は奇抜に関することを多くして、耳目を集める。
本予告は王道に関することを多くして、満足を期待させる。
(最近これらがうまく機能していないのは、
日本の宣伝部が無能だからである。
アンバサダー?あほか。他人に頼ってどうするのだ)

奇抜はセンスで、
王道は実力だ。

両方なくてはならない。

(ちなみにセンスを教えることは出来ないので、
ここでは王道に関して書いている。
現代的奇抜の飾りをつけない王道は、
やはり耳目を集めるのがしんどいと思う)
posted by おおおかとしひこ at 11:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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