奇抜なことは目立つ。
目立てば勝ちか。
そうではない。
奇抜なことで目立っておいて、
実はそこに王道が隠されていた、
というのが本物である。
王道というのは、
実は一番難しい。
きっちりと構成し、
全てのことがテーマに集約するように、
矛盾なく首尾一貫していなければならない。
しかしそれだけでは鈍重だから、
奇抜の力を借りる。
奇抜で人の目を引いておいて、
王道に着地させて満足させる。
つまり、
奇抜は人の目を引くのに、
王道は満足させるためにある。
奇抜だけだと、人の目を引くが、満足がない。
王道だけだと、人の目を引かないから見られない。
(最後まで見れば、満足する)
どっちかに片寄ってはダメだ、
というのではなく、
両方ないとダメだ、
という話をしている。
奇抜は流行である。
その時代の気分だ。
今の気分はそれだが、来年は別の気分だろう。
昔のファッションや歌は、
今見ると痛い。
でもそのときは、みんながこぞって飛びつき、
みんなが今の俺はこれだと同じ気分になったものだ。
奇抜は流行である。
流行の当たりを引くまで、乱れうちをしなければならない。
あるいは流行に敏感な若者の感性を保ち続ければ、
これが今の気分だとか、判断できる。
ずっと奇抜でいつづけることは難しい。
奇抜だからいいわけではない。
奇抜なだけでは、ぺらっぺらに薄っぺらい。
しかし時代の気分の奇抜がないと、
目立って注目されることはない。
(注目とは、満足の前の現象である)
奇抜は、以下のようなところに多い。
オープニング、最初のシチュエーション、
お楽しみポイント、タイトル。
ジャンル、モチーフ、Bストーリー(サブプロット)
ツイスト(流れが大きく変わるターニングポイント)
小さな障害。
セリフ。人々の考え方。
王道は、以下のようなところに多い。
主人公の目的や動機、渇き、内的目的、
テーマ、クライマックス、ラストシーン、
主人公の選択、行動、反応、考え、
メインコンフリクト、Aストーリー、
第一ターニングポイント、第二ターニングポイント。
ピンチポイント。
(ミッドポイントは、奇抜に属することが多い)
(タイトルは、こちらに属することもある)
映画の予告編はたいてい二つ作る。
特報と本予告である。
特報は奇抜に関することを多くして、耳目を集める。
本予告は王道に関することを多くして、満足を期待させる。
(最近これらがうまく機能していないのは、
日本の宣伝部が無能だからである。
アンバサダー?あほか。他人に頼ってどうするのだ)
奇抜はセンスで、
王道は実力だ。
両方なくてはならない。
(ちなみにセンスを教えることは出来ないので、
ここでは王道に関して書いている。
現代的奇抜の飾りをつけない王道は、
やはり耳目を集めるのがしんどいと思う)
2017年06月25日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック