2017年06月30日

展開とはなにか

このことについては、何度も書いている。
しかしまだ展開とはなにか、とらえられた気がしない。
面白そうなことが起こりそう、という前ふりは誰でも出来る。
それが落ちにうまくすとんと来るのは、そのうち半分以下が出来る。
間の展開もちゃんと練られているのは、さらに半分以下だろう。

それほど展開というのは難しい。

今回は、「要素を増やすのは展開ではない」
という視点から考えてみる。


要素を増やすのは、物語開始当初の面白さである。
面白そうなことを沢山思いつき、
それを次々に増やしていくときは、本当に楽しい。

新キャラが続々出てきたり、
新要素が続々出てきたり、
新伏線が次々出てきたり、
「この世界はどうなっているか」という世界に関する設定が、
次々に出てきたり。

展開とは、これらが一通り揃ってから、
皆が行動することやぶつかり合うことを言う。
そのときになって初めてその人の過去が明かされたり、
行動の真の理由が明かされたりすることがあるが、
それは要素が増えたのではなく、
最初に増やした要素がより深くなったと考えることにしよう。

最初に増やした要素の中に、
新要素に関することがないとき、
つまり前ふりがなく唐突に新要素が増えたときは、
要素が増えたとみなそう。

つまり、前ふりした要素のなかだけで、
どうなるかを描くのが展開である。


前ふりした要素には、静的なものと動的なものがある。
静的なものは、とうてい変化しそうにないもの
(地球は自転している、会社は安泰、おかんは優しい)
のことをいう。

動的なものは、今はこうだけど、のちのち変化するもののことだ。
難のある性格、今の立場、今の人間関係。
ものによっては、
住んでる家も家族も会社も国も地球も、
動的な設定になるかも知れない。
あるいは、目的。

(目的はその時々で変わりうるかも知れない。
動機は一貫していても、具体的な目的は変化することがある。
たとえばあの子を落とすことが動機のとき、
目的は、「話しかけること」「笑わせること」
「あの子が好きといったことを、勉強すること」
など、具体的に沢山出てきて、それぞれ焦点になる)


一端設定した要素が、
どれだけ変化していくか、
どのように変化していくか、
なぜ変化していくか、
どれは変化せずに静的なもののままか、
を描くことが、展開である。


展開の下手な人は、
展開しそうにない静的なものばかりで固めてしまい、
「なにも変わらない日常」に終始してしまう。
あるいは、
展開しないから、新要素を足して、
話が展開している風に見せかけてしまう。
次々に新しい要素が出てくれば、
物語初期の面白さが持続している気になるからだ。
しかしそれでは、
「いつまで経っても本当の話が始まらない」
と不満をもつことになるだろう。

じゃあ本当の話が始まるとはどういうことかというと、
「並べられた食材が、
合わさることで変化していく」ということを、
克明に描いていくことである。

料理にたとえれば、
初期とは、食材が集まるまでで、
展開とは、それらが切られたり焼かれたり煮込まれたりすること。
たとえば鍋を想像するといいだろう。

途中で新しい食材が登場してスパイスになることもあるけど、
初期に集めた食材以上には登場しない。
それはもう別物の料理になってしまうからだ。
初期の食材が揃った時点で、
ある程度出来が想像できたり、
なんとなく分かるけど一体最終的にはどんなものが?
と思わせることが、上手な初期である。

展開が下手な人は、
煮ても焼いても変化しない食材を集めたか、
いつまででも新要素を足し続ける人だ。
それでは鍋は出来ない。

で。
料理が完成したときがストーリーのエンドである。
それぞれ単独ではたどり着けなかったものに、
すべての食材が渾然一体となることで、
ひとつの完成した宇宙が出来上がる。
なるべくしてなるように、
集められて吟味されたのだけど、
それは最初の時点では分からないわけだ。

この完成した宇宙の為にすべてがあったのだと納得し、
最初に集められた状態よりも、
良くなっていることが、物語の落ちというものである。


展開に話を戻そう。

その人はどういう目的があるのか。
それが設定されたら、その人は行動を始める。
その人が隠密でない限り、
他人の知るところとなる。
その人は誰かに協力を仰ぐかもしれないし、
黙しうちをするかも知れない。
いずれ他人の知るところとなると、
摩擦が起きる。
賛成や反対などというただの感想から、
直接行動に出る人もいるだろう。
その人にも目的がある。
そしてその人に関する摩擦も広がって行く。
それがまた他の人と摩擦を起こすかもしれないし、
最初の人との再摩擦になることもある。

こうして、人は摩擦の波紋を広げて行く。
一度設定された鍋の中で。
鍋はしばらく変えるべきではない。
その鍋の中でどういう摩擦や変化が起きているかを、
見守り、楽しむことが、
「展開を見る」ということだからである。

展開が下手な人は、
ワンアクションや1ターンで終わってしまう。
波及やそれが帰ってきたりさらに帰したり、
という、
何段階もかかる変化を描けない。
それは、複雑で難しいからだ。
その複雑で難しいところを、
面白く書ける人が、
展開の上手な人である。

新要素を加えるのは、あくまで食材が鍋の中で馴染んで、
一通り摩擦が終わったときだ。
まだ鍋の中で馴染んでないのに新要素を加えると、
混乱が生じる。
新要素投入のタイミングは、
鍋と同様に、仕上がりを左右するわけである。

新要素を加えると、
簡単に新鮮なターニングポイントと焦点を加えることが出来る。
だからつい新要素を加えるのに頼ってしまい、
それをすることが展開だと勘違いする。
あくまで新要素はカンフル剤で、
途中に加えるスパイスにすぎず、
最初に集めた食材だけで、
じっくり煮込んでいくことが大事だ。
そうでないと、食材の浅いところしか生きてこない。

展開の上手な人は、
要素を増やさずに、ターニングポイントと焦点をコントロールして、
徐々に変化していく人や人間関係を描けるもので、
それが上手い展開というものだ。

変化はアナログであり、
デジタルではない。
0だった人が、何かの結果急に1になることはない。
0が0.2になったり、0.5に急になったり、
0.3に戻ったり、紆余曲折しながら展開はすすむ。
posted by おおおかとしひこ at 11:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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