弱い部分が強くなるか、
強い部分で弱点を補完するかである。
リアルでの弱点克服を経験していないと、
物語は書けない。
これはぼくの仮説だ。
(経験していないと、
「弱虫のまま都合よく全部が進んでしまう」、
メアリースー的ご都合主義になって終わりだ)
物語には内的動機がある。
外的な事件を解決する必要に迫られて行動をはじめるのだが
(吊り橋で言うところの、退路を断たれた状態)、
それを解決したいほんとうの動機は、
自分の内的問題の解決の予感があるからである
(吊り橋で言うところの、向こうに果実が見えている状態)。
内気な主人公が活発な女の子に魅力を感じ、
恋に落ちるのは、
自分の内気が、その子といれば治るかもしれないと思うからだ。
コンプレックスの塊ほど、真逆の子に恋をするものだ。
(性欲やリビドーもあるだろうけど)
「内気で自信がない」という内的問題を持っている主人公が、
克服をする例について考えてみよう。
例1 自分の特技を生かして活躍する。
まず、誰にも言えない特技を持っていると設定する。
たとえばギターが超うまいとしよう。
「とあるコンテストに参加する」
という外的問題を設定すれば、その主人公は行動をはじめる。
一人では参加できないから、
「バンドを組む」というストーリーになる。
その過程において、
内気ゆえに意思疎通が出来ない問題に直面し、
「それを克服しない限り問題は先に進まない」
という場面があるだろう(内的障害)。
こういう場面において、
「内気そのものを解消する」という方法と、
「得意な事(この場合ギター)で弱点を補う」
という方法がある、
というのが本題。
前者なら、
「勇気を出して思っていることを言う」
というのがストレートな解になる。
後者なら、たとえば、
「言葉では伝えられないから、ギターで語る」
という場面がありえるだろう。
おそらくこの場合では、
後者のほうがよりドラマチックな場面を書ける。
絵になるからだと思う。
前者はただ鼻水出して叫んでいる絵にしかならない。
それが、鼻水か、泣くか、電柱に頭ぶつけながら言うか、
程度の絵の違いしかないだろう。
しかし後者では、
いつ、どうやって、どんな曲を聴かせるかに、
絵的な工夫をすることができる。
これが映画的な「場面」というものだ。
弱点の克服こそが、
実は主人公にとっての最大の障害になることが多い。
そしてそれこそが、もっとも劇的な場面になるべきだ。
弱点の克服のパターンを持とう。
ただ泣き叫ぶだけでは、あまりに芸がない。
(最近の邦画の予告では、いつもこの芸のないことをやっててうんざりだ)
では、最初に設定した得意技が、ない主人公はどうだろうか。
分りやすい特徴がない主人公。
それは、主人公失格なのかもしれないと僕は思う。
キャラが立っていないからである。
弱くてもいい。正義じゃなくてもいい。
それが社会的倫理に反していてもいい。
キャラが弱い主人公だけは意味がない。
強みと弱みを、はっきり持っていた方がいいと思う。
「どこにでもいる普通の高校生」は、
僕は主人公として不適格だと考えている。
何者でもない人は、何物にもなれない。
それは単なるメアリースーの物語しか書けないだろう。
例2 好きな子に告白するストーリー
内気な少年が好きな子に告白するのは、
たいていのラブストーリーのクライマックスのひとつである。
だからこれも、
そのストーリーごとに工夫があるというものである。
「ストレートな方法」では、
「自分の言葉で告白しなければならない場面」をつくればいい。
(大岡版「夜は短し歩けよ乙女」では、
理屈をつけて内気という内的問題から逃げる主人公に、
「どうしても自分の言葉で告白しなければならない場面」をつくることで、
クライマックスとした。
それを中心にすべてが前ふりされている)
「得意な事で弱点を補う」なら、
たとえばギターが得意だとしたら、
好きだとギターで伝えればいい。
(これは昔のトレンディドラマや少女漫画に、
よくあったパターンのような気がする)
その子が好きだというラブソングを歌って告白の代わりにする、
というパターンもよくあるよね。
使い古されたパターンだから、
そのあと自分の言葉を付け加える、
二重の場面をしかけていることも多いね。
で、どんな弱点の克服のクライマックスをつくる?
どういうパターンで新しく見せる?
そのことを何も考えていないなら、
人の心に深く刺さるような話なんて書けないのだ。
「自分の弱点を克服する」話を書くと、
容易にメアリースーに飲み込まれて客観性を失う。
「他人が」「その人の弱点」を克服する話を考えること。
それが、
たまたま「あれはまるで自分のようだ」と思えるほど、
人の心によくある現象としてとらえること。
(「てんぐ探偵」はもともとそのパターンを、
沢山バリエーション豊かに書こうとはじめた節がある。
出来きったかどうかはおいといて、
完結を間近に感慨深いものである)
作家は、人間観察が仕事だという。
電車で他人を眺めるだけが人間観察ではない。
心の機序のようなものを観察して、
法則化したり、面白い具体例に仕立て上げられない限り、
作家の人間観察とはいえない。
ということで、
どういう内的弱点の克服のしかたがありえるのだろう?
どういう得意な事での弱点の補完がありえるのだろう?
そのストーリーで、どういう弱点克服のやり方が、
最も面白くなりそうか?
そういう発想で、ストーリーを考えてみよう。
で、それをわざわざやるには、危険が迫らないと人はやらない。
じゃ、どういう危険がせまるから、
その必要性に迫られるのだろう。
そうやって、ストーリーの深いところを組んでいくのだ。
ちょっと上級者向けの話すぎたかな。
まあいいや。
2017年07月02日
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