自分の作品で、こういう問いをしてみよう。
もちろん、いくつかあるだろう。
最高のシーンと自負するのもあるだろうし、
他の人にほめられたシーンもあるだろうし、
他の人にはほめられていないけど好きなシーンもあるだろう。
しかし、すべての場面が好きではないだろう。
あなたの好きなシーンは、なぜ好きなのだろう。
あなたの好きでないシーンは、なぜ好きでないのだろう。
何かに似てるから好きなのか。
何にも似てないから好きなのか。
何かに似ているから好きならば、
それは注意したほうがいい。
あなたが経験したリアルななにかに似ているならOK、
すでに発表されているメディアのなにかに似ているならアウトだ。
オリジナルななにかかどうか、というところがポイントだ。
すでに見た、権威づいたなにかに似ていて、
好きならば、
あなたは安心したいだけかもしれない。
本題。
あなたが気に入って「いない」シーンがあるならば、
それをピックアップしてみよう。
それを、あなたが好きになるように書き換えられるだろうか?
ただし、その「好き」とは、安心ではない好きであるように。
磨きは、そうやってかけてゆく。
尖っているものはより尖り、
濃いものはより濃く、
オリジナルな部分はよりオリジナルに、
なにかに似ているものは、
なににも似てないように。
もしまだあなたが好きでないシーンがあるなら、
それはまだ輝いていない作品である。
すべての場面が、
あなたの好きで埋まるようにしよう。
偏愛でも博愛でも、
偏見でもグローバルでもかまわない。
まずあなたが愛せるようにすること。
それから、人々に開いていくようにすること。
あなたが好きではないシーンは、
誰も好きになってはくれない。
あなたの好きなシーンは、
好きになってくれる可能性がある。
あなたの好きはわかりにくいかもしれないから、
本質を失わずに、より理解できる好きに開いていく必要もある。
出来れば、すべてのシーンが好きになってもらうようになるべきだ。
だからあなたの好きでないシーンは、
書き直していく必要がある。
好きでないシーンは、
うまく行ってない場面であることが多い。
うまく行くことよりも、
どうしたら好きなシーンになるかなあ、
と考えると、正解に至れることもある。
たぶん、理屈で考えすぎていて、
都合や整合性ばかり優先していて、
面白さや情熱や勢いやエネルギーや、
余裕や滑らかさやわくわくやはらはらや、
胸キュンや非日常感やドキドキが、
足りなかったのではないだろうか。
もちろん、すべてにそれを求めていたらキリがない。
しかし、あなたが好きでない場面は、
そのように書き換えることができる、
という可能性を捨てないこと。
リライトは、そういうチェックをしたほうがいいときもある。
リライトは理屈でやりがちだからだ。
リライトをしたときに、
成立はしてるけど、ベストではない感じは、
理屈はあってるけど好きがないからかもしれない。
理屈と情熱は、違うところから出ている。
両方をみたすのが最高であると思う。
2017年07月09日
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