2017年07月09日

「脚本が悪い」というのは、何が悪いのだろうか2

前記事で具体的にあげた「悪い箇所」は、
表面のことであることに、
気づかれたであろうか?


表面のこと、というのは、
この場合「観客と触れている部分」を指すことにしよう。

だから真っ先に台詞やキャラクターの「感じ」がよくないと、
よくない脚本であるように見えるのである。

見た目や演技は、
セットやカメラマンや衣装や役者だから、
脚本が表面的に見える部分は、
すなわち接触点、言葉回りや、
展開のことに終始する。

あるいは全体的にどうかという点では、
「一体これはなんの意味があるのだろうか?」
という、一番俯瞰的な部分でしか「悪い」と思われない。


私たちは脚本の専門家であるから、
「一幕が長すぎ、かつ第一ターニングポイントが主人公の意思ではない」
「インサイトインシデントが弱い」
「伏線が分かりにくいため、効果的でない」
「この唐突さは伏線を引けば救えた」
「キャラクターのコントラストが弱い」
「サブプロットがテーマと無関係すぎる」
「そもそもこのテーマは時代に合ってない」
「テーマがただの主張になっていて、本気でそうだと思えない」
「これはメアリースーである」
「内的動機が弱い」
「焦点を見失いがちで、ターニングポイントがぬるっとしている」
などと、具体的に構造に入って批判することが出来る。

しかしそれは、ほとんどの観客には意味が分からないことである。

表面的に触れていることではなく、
その下にある構造の話だからだ。

ある部屋が良くないことを、
壁紙や窓のレイアウトから文句を言うのと、
柱や床下構造から批判するのとの違いだ。


僕は時々だめな映画を批判するけれど、
ほとんどの観客には意味が分からないだろう。
それは、脚本の構造的なことについて批判するからである。

脚本が悪いと言われるとき、
ほとんどの人は表面のことしか悪いと言えない。

三幕構造とテーマとの関係について論ずることが出来ない。

だから、表面だけ整えただけの、
中身のない脚本が横行する。



ということで、あなたはそうでなくなることを望む。
書く者の立場から、
理論的な立場から、
観客の立場から、
すべての立場から脚本の悪いところを指摘できるようでありたい。

そうなればしめたもので、
自分の脚本の悪いところを指摘できるようになるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 01:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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