前記事で具体的にあげた「悪い箇所」は、
表面のことであることに、
気づかれたであろうか?
表面のこと、というのは、
この場合「観客と触れている部分」を指すことにしよう。
だから真っ先に台詞やキャラクターの「感じ」がよくないと、
よくない脚本であるように見えるのである。
見た目や演技は、
セットやカメラマンや衣装や役者だから、
脚本が表面的に見える部分は、
すなわち接触点、言葉回りや、
展開のことに終始する。
あるいは全体的にどうかという点では、
「一体これはなんの意味があるのだろうか?」
という、一番俯瞰的な部分でしか「悪い」と思われない。
私たちは脚本の専門家であるから、
「一幕が長すぎ、かつ第一ターニングポイントが主人公の意思ではない」
「インサイトインシデントが弱い」
「伏線が分かりにくいため、効果的でない」
「この唐突さは伏線を引けば救えた」
「キャラクターのコントラストが弱い」
「サブプロットがテーマと無関係すぎる」
「そもそもこのテーマは時代に合ってない」
「テーマがただの主張になっていて、本気でそうだと思えない」
「これはメアリースーである」
「内的動機が弱い」
「焦点を見失いがちで、ターニングポイントがぬるっとしている」
などと、具体的に構造に入って批判することが出来る。
しかしそれは、ほとんどの観客には意味が分からないことである。
表面的に触れていることではなく、
その下にある構造の話だからだ。
ある部屋が良くないことを、
壁紙や窓のレイアウトから文句を言うのと、
柱や床下構造から批判するのとの違いだ。
僕は時々だめな映画を批判するけれど、
ほとんどの観客には意味が分からないだろう。
それは、脚本の構造的なことについて批判するからである。
脚本が悪いと言われるとき、
ほとんどの人は表面のことしか悪いと言えない。
三幕構造とテーマとの関係について論ずることが出来ない。
だから、表面だけ整えただけの、
中身のない脚本が横行する。
ということで、あなたはそうでなくなることを望む。
書く者の立場から、
理論的な立場から、
観客の立場から、
すべての立場から脚本の悪いところを指摘できるようでありたい。
そうなればしめたもので、
自分の脚本の悪いところを指摘できるようになるだろう。
2017年07月09日
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