ラブストーリーを書こう、
と思うのはいい。
しかし「ラブストーリー」はまだ抽象であり、
具体ではない。
「男が女に出会って恋をする話を書こう」
なら具体的だろうか。
まだ抽象だな。
どんな男が、どんな女に、
どういう出会い方をして、
どういう恋になるか、
それが具体だ。
たとえば、
「忍者が主君の姫に一目惚れする」
のような具体が必要だ。(ドラマ風魔)
「男に興味のなかった女が、
転校生のワルが気になってしょうがない」でもいい。
(昔によくあった少女漫画テンプレ。
今のテンプレは、追いかけてないのでよく知らない)
とにかく具体にすることだ。
それは場面でも同様だ。
「告白が成功する」なら抽象だ。
どんな言葉を使い、どのような心の動き方をしたのか、
具体がないからだ。
「好きなところを10個言う、というゲームで、
最後に彼女の、『まだなれてないけど理想の姿』を言い、
彼女をどれだけ理解しているかを示す」
(ドラマ風魔)
なら具体的だ。
勿論、どんな10個を言うかが、
さらに具体的なキモになってくる。
勿論これは単独の場面としては機能してなくて、
冒頭シーンや、これまでの流れが全部あって、
という具体の積み重ねがあるのだが。
「ケンカする場面」ではまだ抽象だ。
どんなディテールの何に切れたのか、
それまでの思いのすれ違いの具体が必要だ。
「仲直りする」「嫉妬する」「離ればなれになる」
も同じく。
どういう具体があるかが、大事である。
さて、
気を付けるべきことは、
これらの具体をどう選ぶかということについては、
「センスしかない」
という見も蓋もないのがほんとうだ。
脚本理論が抽象的になるのは、このためだ。
「なぜ小次郎は彼女のいいところを10個言ったのか?
『プレゼントをあげる』でも良かったのではないか?」
と、具体に関する質問を考えても、
僕はしょうがないとしか答えられない。
「そのほうがセンスがいいと思ったから」
というのが正直な答えだ。
しかし、「ここで告白が成功する」を、
「ここで告白が失敗する」に変えるのはどうか?
という抽象的な質問には答えられる。
それは、プロットの話だからだ。
勿論、プロットにも抽象と具体の階層があって、
ラブストーリーの最も抽象度の高いプロットは、
「愛が成就する(または失敗する)」であり、
もう少し具体度をあげれば、
「男女が出会い恋をして結果が出る」だろう。
さらに具体をあげてゆき、
本格的なプロットになっていくわけである。
そんなこと言ってしまえば、
すべてのミステリーは、
「殺人事件が解決する」であり、
「凄腕の探偵が、絶対不可能なトリックを破る」
と書くことが出来てしまう。
どんなトリックか、どんな解明かという具体が、
ミステリーの醍醐味だというのにね。
つまり、神は具体に宿る。
神はディテールに宿るというが、
ここまでのことを意味する言葉とは思えないので、
具体に宿る、としてみた。
宿る神の名は、オリジナリティーだ。
無限のラブストーリー、
無限のミステリーがある。
それはどれも、
「恋と結末」「殺人と解決」という抽象でしかなく、
それはオリジナリティーではない。
(人類ではじめてこれを書けばオリジナリティーだけど)
そういうことではなく、
どういう具体的なエピソードを作れたかが、
オリジナリティーに直結してゆく。
「愛を告白する」という抽象を、
「殴る」という他にやっていない具体で達成できれば、
それはオリジナリティーのある話になるだろう。
もう誰かがやってる可能性はあるけど。
具体はセンスだ。
抽象は理論だ。
神は具体に宿るけれど、
本質を決めるのは抽象だったりする。
蒸し返すようだけど、シンゴジラは、
具体(のいくつか)は素晴らしい。
しかし全体がよくない。
そして最も根幹になるはずの、主人公の物語が希薄である。
その抽象構造の歪さが、
物語として落第なところだ。
東宝オリジナルゴジラは、そこが良くできていた。
具体は今なら古いセンスかも知れないが。
(古い名作を見るときに気を付けることは、
具体でなく抽象を見ることである。
具体というセンスは古びて行く。
勿論、同時代的にこのセンスは滑っていた、
なんて証言がないと、全部センス良かったのだろう、
と推測してしまいがちだけど)
で。
シナリオに書くべきことは、
どこまで行っても具体だ。
センスを爆発させればいい。
しかし、抽象的にどうなのか、
同時に考えていないと、
ただのセンスの羅列になり、行くべき所が見えなくなる。
そのための抽象的な道具が、
動機や目的、事件、サブプロット、
三幕構造、テーマ、
などになるわけだ。
ストーリーは常に具体だ。
プロットが出来ていても実際に書けないのは、
具体のセンスがないか、
プロットの抽象度が高すぎて、
具体の階層にまだ降りてきていないからかも知れない。
(たとえばプロットに「告白が成功する」と書いたって、
その具体場面を作ってなきゃ、書けやしない)
あるいは、プロットが作るのが下手なのだとしたら、
具体に拘りすぎて、抽象化が下手なのかもしれない。
具体と抽象を行き来しながら、
最終的には具体の連鎖を紡ぐことが、
出来るかどうかである。
なるべく具体的に書いてみたけど、
抽象的ですいません。
2017年07月09日
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