2017年07月13日

書けないときは、好奇心を失ってるとき

書けない。
これは一番よくある、我々の障害だ。

書けないとき、
少しでも書き続けるべきだというスパルタ式と、
休んでいいんだよという優しい式がある。
どちらを選んでもよい。
甘えを鍛えるためや、
ピンチでもどうにでもなる力を鍛えるためには、
特に初期はスパルタ式を僕はオススメしている。
優しい式では、書き手を目指してない自分と変化がない。

ところで、
それでも書けないときはやって来る。
その時、自分の中の好奇心の低下に気づけるかな。


書くということは、要するに興味だ。
興味のないことは書けない。

興味を持てない作業ほど苦痛はない。
ほとんどのサラリーマンは、
そんな苦痛を毎日どこかで受けていて、
軽く飲んで忘れて、
明日も満員電車に乗る。

興味を持てる作業なら、
止めても人はやり続ける。
作品作りをしたことがある人なら、
それが脚本でなくとも、
たとえばスポーツでもカラオケでも、
ぶっ倒れるまでやり続けて、
ガーッと寝て、
起きたらすぐにまたそれを続ける、
なんて期間を経験したことがあるだろう。

からだ壊すよ、と言われたって、
体が勝手に動いてしまうぐらい、
勝手に集中してやってしまう経験を、
したことがあるだろう。

その、作品と私という、
宇宙にそれしかない状態こそが、
理想の状態である。
その理想のまま、最初から最後までつくるのが、
最高の状態というものだ。

しかしそうはならないのが現実だ。
クライアント仕事でない、
自分自身しかいない創作においてすら、
そんな理想の状態は数回しか来ない。
一回は来るけど、複数回来ないときもよくある。
(最悪なのは、最初だけ来て二度と来ないパターンね)

あとはずっと苦しい。
なかなか進まない。


さて。

こういうときの対処法。

あなたの好奇心はどうなってる?

書けなくて苦しいとき、
たいていあなたの心は硬直化している。

書いている以外のなにかに、
興味を持てるか?好奇心があるか?をチェックしてみよう。

脳が強いストレスにさらされると、
(たとえば詰まらない仕事)
興味や好奇心が失せていく、
世界が灰色になっていくのを、
経験したことがあるだろう。
そういう状態だからこそ、創作に心のオアシスを見つける人もいるだろう。

しかし好奇心が失せた状態が長く続くと、
オアシスにすら好奇心が持てなくなることがある。
オアシスがオアシスじゃなくなるんだね。書けないから。
そういうときに人は鬱になるのかもしれない。

まあ、現実逃避にまた別のことをはじめると、
そっちに気がいって、
オアシスにまた水がたまりはじめることはある。
そしたらまた書けばいい。

ところで。
それでもやっぱり書けないとき。

あなた自身の、その作品への好奇心をチェックしてみよう。
なぜそもそもその作品世界に興味を持ったのだろうか?
その原点に戻ってみよう。
その興味を掘り起こしてみよう。

もし、みずみずしい好奇心がそこに残っていたら、
その好奇心で残りの作品世界を眺めてみよう。
まだ明らかになっていない部分に興味があるか、を、
その好奇心で眺めてみることだ。

それに好奇心や興味が湧けば、書き続けることができる。
あるいは、別の角度から別の好奇心や興味が湧けば、
ターニングポイントで変節して、
別の焦点を追うこともできる。


あなたが作ろうとしている世界に、
何の興味も好奇心ももう湧いてこないのなら、
それは多分書き続けても無駄である。

たとえば引き延ばしまくられた漫画は、
こういう匂いがすることよくあるよね。
もう興味も好奇心も湧いてこないのに、
亡霊のように続いているやつね。
作者が引き延ばしで鬱になるのは、
その作業が耐えられないからだろうね。


好奇心は持続しない。
人は飽きるように出来ている。
だから世界中に散らばり、文明を発展させることができた。
飽きなかったら、移動せずにそこで死んだだろう。

だから、あなたがあなたの作品に飽きるのは、
人類の宿命だと諦めることもあっていい。


うまく書き続けるには、ふたつある。
ひとつは、飽きる前に書ききってしまうこと。速記ならできるかな。
ふたつめは、飽きないテーマやモチーフを見つけること。

何かを書き続ける人は、
そのことにまだ飽きてないから、
まだ興味があるから、好奇心があるから、
書き続けることができる。
それだけのことかも知れない。

中弛みやテンション下がるのは、
興味や好奇心が下がっているからなのだ。



あなたの創造した世界やその変化。
あなたの創造した人物や人間関係やその変化。
あなたの創造した人物の、目的や動機。
その旅の終着地。
それに飽きていなければ、
それに興味を持てて、
好奇心を持てる。

あれはどうなの?これは?と、
まだ分かっていないところへ問いや焦点を投げかけられる。

あなたが飽きたのは、「分かったから」かも知れない。
まだ分かっていないところへ、
興味や好奇心をもたげてゆけばよい。

安易に新登場人物を足してもだめだ。
その人に飽きたら同じループになる。
あなたが主人公に飽きているかどうかが、
一番大事かもしれない。


出会った頃の新鮮さを思い出して。
分かったところと、まだ分かってないところを洗い出して。
そうすれば、
まだ書くべきところがある、
決着すべきところがある、
と、勇気ややる気が湧いてくるかもしれない。


どうしても興味や好奇心が持てないなら、
その作品を無理に続けてもよくない。
作品もあなたも不幸になる。
別の好奇心が生まれるまで、休んでいいんだよ、と優しい式に頼ることだね。

あなたの、その作品をはじめた根源はなんだったか。
最初のスパークに興味を持って、
好奇心をもたげてみよう。



僕がてんぐ探偵を書きはじめたのは、
ヒーローに興味があったからだ。
同時に、人の心がどういう仕組みになっているのか、
興味があったからだ。
あと、妖怪も好きだったからだ。
それは今週末57話で一応完結するけど、
まだ自分の興味や好奇心が終わったわけではないと思っている。
だから、まだ続きを書きたいと考えている。
うまく燃焼できるまで、ネタを貯めている。



好奇心を持続させよ。
別の角度からそれを眺め直してみよ。
新たな発見や興味があれば、
それはまだ書くべきところが残っている。

別のことに興味や好奇心が行ってしまうなら、
それはもう潮時か、凍結時かもしれない。
別の興味や好奇心は、元の作品に入れないほうがいい。
それで息を吹き返すのは、新しい部分のみで、
旧い部分は興味がめぐらないぞ。


あなたの好奇心はどうなってる?
それを自覚するところから現状分析だ。
posted by おおおかとしひこ at 12:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いやあ、素晴らしい記事です。
ちょうどいま、九割方書き終えたところでご指摘の状態におちいって、世界が灰色になっておりました。好奇心の源泉を再度確認し、どうにか最後まで書き上げて発表したいと思います。
ありがとうございました。
Posted by phan at 2017年07月13日 15:47
phanさんコメントありがとうございます。
何かの役に立てれば幸いです。

9割方書けてて書けないときは、
じつは「完成させるのが怖い」という思いに囚われていることがあります。
「完成させると評価が定まってしまう(まだ完成してないと言い訳が出来ない)」
「自分の想像した理想と目の前のものが落差がありすぎる」
などが原因かもしれません。

でも、評価も落差も、完成しないものについては0なのです。
1でも2でも、前進したやつが勝ちです。
完成さえすれば、あとでリライトで良くすることは可能です。

そもそもどこからこれを書こうと思ったか、
過去の素直な自分に、今の自分が答えてやれれば、
完結は目の前だと思います。
目をつぶって、行けると思ったら、一息ですよ。
旅のご無事を。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年07月13日 16:03
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