2017年07月14日

人を深く描くには

たとえば、
「人によって態度を変えるやつ」がいるとする。
そのとき、
「どんな人にも同じように接するやつ」を出すのである。
対比だ。


人によって態度を変えるやつと、
どんな人にも同じように接するやつが、
一緒にいて、何かに出会ったら、
かならず対応が違うはずである。

そこでもめごとが起こる。
もめなくても、すれ違いや軋轢が起こる。
それが人を描くということだ。
リアリティーは、そういうところに出る。
同じことに対する態度や言葉や対応の違いを描いてもいい。
行動や価値観の違いにより対立してもいい。

対立しないにせよ、
その差異のせいで、また別の事件の種になってもいい。
差異は、物語の種である。

ここまでは並の脚本論でよくある話。



さて、ここから深く描くにはどうするか。
「なぜ、そのような考えに至ったのか」
を考えておくこと。

人には色々人生観、
つまり人生や世界をどのようにとらえているか、
があり、
それは人によって大きく異なる。

今、全く違う二人がいるのだから、
その人生観がどう形成されたのか、
考えてみるのだ。
最初からそうだったのか、
なにかのきっかけで変わったのか、
今はそう思っていても、いずれ変わる可能性はあるのか、
何か心に引っかかる何かがあって、
絶対譲れない価値観としてそうなったのか。

いろいろなパターンがあると思う。

そして、ここからが重要なのだが、
「その設定を本編中で使わない」ことが重要なのだ。
せっかくいいエピソードが出来たら、
つい解説したくなるんだけど、
それをぐっとこらえて、
それが言動の端々からにじみでるように、
その人を描けないか、やってみるのである。

なぜ今そうなっているのか、
わざわざ解説しながら生きている人はいない。
だから、普段はその人の過去などは一切わからない。
その人が何か日常とは違う文脈に出会ったとき、
ふとした時に、そのことが出てしまうことがある。
そういう時が、人の深さを描く時である。

深さを描くとは、
最初から深みを見せてもだめで、
一見こう見えていたのに、
掘ってみると深い、
というときに深さを感じるものである。
表面と、裏面、現在と現在に至る経歴、
そのふたつの同居をうまく描けるかということ。

かつ、対比的な人物と、どう違うかまで描ければ、
人間についてのなにかの見識を得られるだろうね。
それが何かについては、テーマ次第だけど。


最初の例に戻れば、
人によって態度を変えるか変えないかは、
他人との付き合いをどう考えるか、
自分に嘘をどれだけつけるか、
そういうことと関係していることがテーマになってくるんじゃないかな。
だとすると、
その対比が浮き彫りになりやすい事件が、
きっと起きるはずだ。

その事件を解決しようとする動機も、
そのやろうとするやり方も、
その二人は異なるだろう。
だから、もめたり対立するだろう。
呉越同舟でやるかもしれないし、
決裂するかもしれない。
それは、ストーリー次第であるけれど。


これは、現実的な人間ドラマでやってもいいし、
ぶっ飛んだ設定、
たとえば、宇宙人や幽霊への対応の違い、
などでやってもよい。
核となる人間の描き方、
つまり軸足が決まったのなら、
それを生かす、場を作っていけばいいだけのこと。

「行方不明になった父親が現れた」
という人間ドラマの事件、
「宇宙人が道に迷っている」
というぶっ飛んだ事件、
などからストーリーを考えてもいいし、
このように、
人間の深いところを描こうとして、
事件や場を考えてもいいのだ。

もしその二人が対立し、宿命の闘争をする、
ということになれば、
たとえば「ベン・ハー」みたいな、
壮大なスケールの人間ドラマに発展させてもいいんだぜ。

それが、ストーリーテリングの、
ダイナミズムというものじゃないかなあ。



人間は深い。
どこまでも深い。
それは、それまで生きてきたことや、
深い思惑が、
表面から見えないことで、
表現することができる。
(だから、物語には、
「実はこうだった」というパターンが多いのだろうね)
posted by おおおかとしひこ at 14:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
漫画だとキャラの過去エピソードが挿入されることがよくありますが
そういうのは本来は悪手なのですね。
手軽にキャラの背負う人生を伝えることができるので
ついついやってしまいがちですが・・・

Posted by ふー at 2017年07月14日 19:49
ふーさんコメントありがとうございます。

漫画と映画はまた違うと考えます。
映画は一気に始まって一気に終わるものなので。

漫画は長時間マラソンなので、
テンションが落ちてきたら過去編に飛ばして、
ガソリンを補給するということはあると思います。

でも僕個人は過去編は嫌いですね。
「それ、場繋ぎやん」と思ってしまいます。
最初の最初から作っておいて、
過去編も計算通りであるようなことは殆どないだろうから、
思い付きを足していく嘘くささを感じてしまいます。
それすらも魅力に出来れば理想なんですが。
Posted by おおおかとしひこ at 2017年07月15日 00:24
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