2017年07月15日

シチュエーションか、キャラクターか

脚本は大きく分けると、
最初に新しい謎をふり、その行方を追いたくさせる、
シチュエーション重視型と、
シチュエーションは平凡だとしても、
キャラクターが面白いのでその先を見てしまう、
キャラクター重視型の、
ふたつがある。


日本の漫画は、キャラクター重視だとよく言われる。
立ったキャラが何人もいれば、
それらがケンカしたり和解したり決裂していけば、
面白くなるという考え方だ。

極端に、スポーツものを考えよう。
大体ストーリーは決まってる。
主人公が入った部活が、
次々に勝ったり負けたりして、
最後には優勝する。
あと、ライバルに勝ったり負けたりする。
あと、大抵ラブストーリーがついてくる。

こういってしまえば見も蓋もないが、
スポーツもののストーリーは、
スポーツ違い、キャラクター違いの、
殆ど同じストーリーだ。

最初の設定や途中の展開は多少違うかも知れないが、
それよりもキャラクターの違いのほうがデカイといえよう。

キャラクター重視型は、とにかくキャラを立てる。
性格や得意技やしゃべり方や苦手なものを作っておいて、
それを利用して展開を作ることが多い。
他のキャラとの因縁や過去なんかも作れば、
その絡みや展開だけで話が進む。

スポーツもの、バトルもの、恋愛もの、
などは、どれも殆ど同じストーリーだと言ってよい。
場所時代違い、キャラクター違いのバリエーションだ。

こういうものは、
毎週連載ものと相性が良い。
毎週そのキャラクターに会うのが楽しみ、
みたいなことであり、
その先の展開が気になってしょうがない、
という追いかけ方ではないだろう。
こういうタイプは、
ストーリーはキャラクターをうまく見せるためにある、
と考えられる。


一方、シチュエーション重視型。
逆だから、先に結論を言えば、
キャラクターはストーリーをうまく見せるためにある。

こういうものはまず、
新しく面白いシチュエーションを作るところから始める。
聞いたことのない、新しい問題を提出し、
「いったいこれはどうやって解決するのだろう」
という疑問こそがストーリーを引っ張る興味になる。

すぐに解決しそうな問題では意味がない。
逆にキャラクター重視型だと、
問題や解決自体はたいしたことなくても、
キャラクターがどう活躍したり困ったりするかが大事。
キャラクターがその話のアイデンティティーになるわけだ。
つまり、シチュエーション重視型の話では、
そのシチュエーションがその話のアイデンティティーになる。

「愛しのローズマリー」は何度か取り上げているが、
「心の美醜がルックスの美醜に見えてしまう催眠術にかけられる」
という、唯一無二のシチュエーションこそが、
この映画のアイデンティティーである。

去年絶賛した「ズートピア」はどっちだ?
「上京した若者が、傷つきながら仲間を増やして、
謎の事件を解決する」というテンプレだから、
シチュエーション重視型ではなく、
キャラクター重視型と考えられる。
ただし、
「肉食系が野生を取り戻して襲わせるような計画」と、
「肉食系と草食系というメタファーを使って、
多様性の問題を取り扱う」というシチュエーションにおいては、
唯一無二のアイデンティティーがあった。
だからこの話は、キャラクター7シチュエーション3ぐらいの比率かな。
多様性というテーマも、結局キャラクターという個性に戻ってくるからね。

あるいは僕の好きな「ゲーム」という映画は、
「現実に退屈した富豪が、謎のゲームに参加した瞬間、
会社が空きフロアになったり、追われる身になってゆく」
という強烈な唯一無二の謎をつくり、
それを解明していくシチュエーション重視型であった。
(そして落ちが最高なんだよね)


さて。

僕は、映画はシチュエーション重視型だと考えている。

誰も聞いたことのないシチュエーションを作り、
一体この先どうやってこれを解決するのだろうと、
観客に思わせることが大事だと考える。
キャラクターがシチュエーションに出逢うのではない。
シチュエーションがキャラクターを巻き込む。

そしてそれがどう決着がつくかまでが、
僕はストーリーだと考えている。
キャラクター重視型と逆に、
シチュエーションさえ唯一無二であれば、
キャラクターなど没個性でいいんだと。


さらに。
シチュエーション重視型メインで、
キャラクターも重視型になっているのが最強だ。

僕はキャラクターから作るのを批判している。
キャラクターを先に作ると、
シチュエーションがぬるくなるからだ。
シチュエーションを先に作れれば、
キャラクターはそのあとにも作れる。
つまり、シチュエーションのほうがキャラクターより難しい、
と僕は考えている。
勿論、得手不得手もあるだろうけど。


僕は漫画の実写化には、基本的に反対だ。
だってキャラクター重視型ばかりで、
シチュエーション重視型なんて殆どないんですもの。
だからコスプレショー呼ばわりされるんだ。


さあ、まずへんてこで新しい問題を考えよう。
「乗り物に爆弾が仕掛けてあって、
時速○キロを下回ると大爆発する」
(新幹線大爆破、スピード)
なんてのは、なかなか他にない
(スピードがパクった)、唯一無二のネタだと思う。
このネタが面白いのであって、
キャラクターが面白い訳ではなかった。
(多少はあったけど)

「目が覚めたら鎖に繋がれていて、
死体とノコギリがあり、監視されていることがわかった」
(ソウ)なんかもいいよね。

「母と子は部屋から出たことがなく、
子供は部屋を世界だと思っている。
実は何年もここで監禁されているのである」
(ルーム)なんかもいい。

いくらでも思い出せるけど、いちいち挙げない。
そうだ、
「道すがら追われた王女を助けたが、
彼女が忘れた指輪が、大贋札事件の発端となった」
(ルパン三世カリオストロの城)
なんてのもいいよね。
そうそう、ルパン三世はキャラクター重視型のテレビシリーズなのに、
映画版になるとシチュエーション重視型になる、
というのもとてもいい。
ドラえもん映画版もそうか。
いつもの愉快なキャラクターたちが、
特別な映画的世界に入る感じは、昔から大好きだ。



さて。

あなたは、シチュエーション重視型か、キャラクター重視型か。
どちらでも得意なほうをやればいい。
そして、もう一方のやり方があることも、知っておくといい。

僕は、シチュエーション重視型こそが映画的だと考えている。
その上でのキャラクターだ、と。

で?いつもと違うどんなシチュエーションから始まるんだい?
posted by おおおかとしひこ at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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