考えてみよう。
大きく分けると2つのことがあるかどうか。
理屈のことと、感情のこと。
理屈のこと。
・主人公は誰か
・どういう事件が起きるのか
・どういう紆余曲折をたどるのか
・どういう解決をするのか
・それは矛盾がないか
・主人公は最初はどうで、最後はどうなるか
・つまり、どういう変化をするか
・そこから推測されるであろうテーマ
感情のこと。
・どう面白いのだろう?
・よくある面白さ?レアな面白さ?
・全体を支配する、主たる感情。あるいはいくつか経験する感情。
・観客は最初、どういう感情になるのか。
・観客は途中、どういう感情になるのか。
・観客は最後に、どういう感情になるのか。
・主人公はどうしてそれを最後まで解決したいと思うのか。
・観客はどうしてそれを最後まで見守りたいと思うのか。
これらが、箇条書きや分析的にではなく、
あらすじ形式で書かれているものを、
プロットという。
プロットはストーリーの概略であるから、
「このストーリーのテーマは…」などと書いてはいけない。
にも関わらず、
プロットを読み終えた読者は、
「なるほど、このストーリーは○○○○○○、
みたいなことを言おうとしているのだな」
のように読解できるものであるべきだ。
「主人公は○○」などと書いてもいけない。
「○○で○○な男(女)が…」と始めたら、
いつの間にかその人中心にストーリーが進むべきで、
明記しないのに、「この人が主人公か」と、
読者に読解させなければならない。
(むしろ主人公という言葉を意識しなくても、
自然にその人からストーリーを見ているようにさせるべきだ。
私たちは誰が主人公かを探さない。
誰に注目するかを見るだけだ)
プロットは一回書けばいいのか?
何回書き直してもいい。
ペラ一枚、数枚、三行、
などに何バージョンも書いたほうがいい。
長いものから短いものへ書き直すと、
骨格や本質を見つけることができる。
短いものから長いものへ書き直すと、
ディテールと骨格の関係をつかむことができる。
何回か同じ長さのものを書き直すことで、
いくつかのバージョンを作り、
比較検討することが出来る。
(それは執筆や撮影や編集でやる試行錯誤よりも、
よほど可塑性が高い)
何回も書いて飽きない?
もしそれだけで飽きてしまうのなら、
あなたが脚本家に向いていないか、
そのストーリーが詰まらないかの、どちらかだ。
あなたはこれからこのストーリーを100回は書き直す。
あなたのストーリーを愛する観客は、
何度もリピートしたり、人生の折々であなたのストーリーを思い出す。
それだけのパワーを秘めたものを作ることが、
あなたの仕事の本質である。
嘘だと思うのなら、
名作のプロットをそのように書き出してみるといい。
最初は数枚になってしまう。
それを三行にしてみる。
さらにペラ一枚で書いてみる。
納得がいかなかったら、もう一回見てみてもいい。
その上で、ペラ一枚、三行、数枚、三行、
と何バージョンも書いてみるといい。
完成したと思ったら、
プロットだけで内容を想像する。
そして最後に一気見をして、
頭のなかで骨格やディテールを分析してみるといい。
現物とプロットの関係を、理解することができる。
そもそもプロットが書けない人は、
現物とプロットの関係をつかめていない人が多い。
それは監督や脚本家だけでなく、
実のところダメなプロデューサーに最も多かったりする。
そういう人はプロットを読まずに、
「誰が書いたか」だけを見て、
「あの人が書いたのなら、間違いはないだろう」
と判断するだけだ。
あとはジャンルと観客層を読み取る程度だ、
というのは以前にも書いた。
だからあなたが有名人なら、プロットは名前を書くだけでよい。
そうでないなら、三行から、
ジャンルと観客層と、儲かりそうかが読み取れればよい。
「儲かりそう」というのは主観だから、
要するにその人の主観に引っ掛かればこの関門を突破できる。
プロットはふたつの役割がある。
この先のビジネスへゴーサインを出させるための設計仕様書と、
自分がストーリーを書けるようになるための地図である。
前者は他人が読むためのもの、
後者は自分が読むためのもの、というわけだ。
最低限何が必要か。
欠けていたら現場で困るのは何か。
経験的に網羅してみた。
これさえあれば必要十分ではない。
もっと沢山のことを考えなければならない。
しかしどれかが欠けていたら、
やっぱりプロットとしては不十分な気がする。
2017年07月16日
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