2017年07月18日

表現とは告白である

こないだ聞いた、もうどうしょうもない話。
「誰にも嫌われないCMを作ってください」
というオリエン(依頼)があったのだそうだ。
怒りを通り越して爆笑してしまった。あほか。


勿論、昨今のCM炎上中止騒ぎを見て、
トラブルは避けたいと考えている依頼であろう。
それは事情としてはよくわかる。

中止しなけりゃいいじゃん。
「私はこう思う。そう誤解されたら心外である。
私はこう思うので、この発言は続ける」
と堂々と言えばいいのに。


表現とは、何かを言うことである。
いわば攻撃である。
リスクがある代わりにリターンがある。
メッセージが届く人には効果的だし、
メッセージを不快に思う人には炎上だ。

誰にも嫌われないメッセージなどない。
無難なメッセージは、
誰の心にも刺さらない。
炎上もない代わりに、リターンは0だ。

それはもはや、
「嫌われない告白の仕方を教えてください」
と言っているような矛盾だ。


告白は告白だ。
強く鋭く刺さるほうが効果的だ。
その代わり撃沈もあるだけだ。

「あの…その…嫌われたくないんで、
仲良くしましょう」なんて男に、
女が「すてき!」と恋をするだろうか。
そんなこと言う女だって気持ち悪い。
どんな美人でも。



嫌われない告白はない。
告白は、嫌われるし、時々成功する。
それが表現だ。

そんなバカなこと頼んできた大企業は、
告白をしたことがないのだろう。
ちゃんと生きろばかやろう。




大企業が広告代理店に頼むからダメなんじゃね?
自社で作りなよ。
責任を自社で取れるようにするべきなんだよ。
それで、告白がどれほど難しいことか、
理解するべきなんだ。
それでうまくいかない時に、
ちゃんとしたクリエーターに頼めばいいと思うんだよね。
posted by おおおかとしひこ at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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