2017年07月20日

私は何故歌に苦手意識があるのか、わかった

音節と拍(モーラ)の違いを詳しく調べていてわかったこと。
日本語の奥底の話。
僕はネイティブは関西弁だが、
関西弁は日本語の中でも特殊で、
声調言語に属するらしい。


先に結論を言っておくと、
僕が歌に苦手意識があるのは、
「歌のリズムは拍で作られているのに、
音節単位でものごとを考えている」
からだとわかった、という話だ。

その理由として、
「関西弁は声調(同じ母音でもアクセントや高低で変える)言語であり、
拍よりも音節の声調を重視する」と考えられる。

声調言語の代表格である中国語では、
特に広東語が声調が豊富だが(八声)、
広東語で歌うとき、
メロディーに乗せたときに高低が歌詞に合わないとき、
なんと歌詞の高低に合わせてメロディーを変えることがあるらしい。
メロディー優先ではなく、
歌詞(の声調)優先になるのだと。
(逆に広東語作詞者は、メロディーに合うように、
北京語を広東語にうまく翻訳する能力が必要らしい。
それでもうまく行かないときメロディーをいじるんだって)

だから同じ楽曲でも、
北京語と広東語の2バージョンがあって、
両者はメロディーが微妙に異なることがあるそうだ。

なるほど。

僕は音痴だと思っていたのは、
声調言語である歌詞を正しく発音しようとして、
メロディーを曲げている現象のことを言っていたのか!

これまでの議論から、
僕はガワよりも中身を重視する癖があることはわかると思う。
つまり、歌においてもメロディーより歌詞であると。
だから、歌詞の為に広東語歌のようにメロディーを曲げてしまい、
結果音程が外れているのか。

関西弁話者は、じゃあ全員そうしているのか?
少なくとも、ベタベタの関西弁話者のおっさんやおばはんは、
カラオケが大分下手だった記憶がある。
若者は標準語とバイリンガルであることが多く、
それゆえ音痴でなかったような記憶がある。
僕は関西弁愛が、バイリンガルより強いのかも知れない。
音痴という現象は、
声調の正しさ>音程の正しさのことかも知れない。

音程を取るのが上手い人は、
歌詞の声調を無視して、
単なる一音をある音程で出せる人、
ということになるね。
関東弁話者や東北弁話者は、
関西弁ほど声調がきつくないから、
歌が上手い確率が高そうだ。
(九州や沖縄などのさらに声調のキツそうな話者については、
あまり付き合いがないので分からない)


JPOPはほとんどメロ先で、
音程が声調に合っていない。
だから僕は嫌いなのだと思う。
逆に歌謡曲や演歌は詞先だから、
声調を崩さないメロディーが多く、
僕は歌いやすく気持ちも乗せやすい。
(シンガーソングライターのニューミュージックは、
歌いやすい人と歌いにくい人がいる)

なるほど、そういう違いがあったのか。


JPOPは歌詞ではなくファッションだ。
私はこういう世界を素敵だと思う、という服の見せびらかしである。
歌謡曲や演歌は主張である。
私はこのようなストーリーや気持ちを、
メロディーに乗せて永遠にここに刻むという意志である。

歌謡曲の流行とは、
ファッションと歌詞の融合が、
うまく大量生産時代にマッチしたのだろうね。


声調言語とはつまり、
言語が既にメロディーを持っているということだ。
メロディーのキツイ、
フランス語はシャンソンに、
広東語は香港ブルースに、
関西弁は河内音頭や吉本音楽や大阪ブルースに、
独特のジャンルを築いているようだ。



さて、音節と拍の話。
僕はリズムを取るのも苦手だ。


関西弁の声調は、音節を単位としている。
「なんでやねん」は、
「なん/で/や/ねん」の4音節であり、
「な/ん/で/や/ね/ん」の6拍(モーラ)だ。
関西弁の独特のニュアンス
(浜ちゃんのツッコミのねじれるようなアクセントを思いだそう)は、
「なん」が単位であり、「な」「ん」と二つに分けない。
(ついでに言うと、「でや」も一音節に近いよね。
つまりネイティブの「なんでやねん」は3音節に近い)

だから僕は、音節が言葉のリズムだ。

で、歌のリズムって、拍なんですって。
(勿論例外はある)
ああ、だから僕はリズム感がないのですね。


声調と音節。
フラット調子の音程付けと拍。
関西弁は東京中心の音楽と、相性が悪いのだね。

(一方やしきたかじんや円広志などは歌いやすい。
声調が整っているからだろう。
他にも歌いやすい曲だなあと調べたら関西出身のアーティストだったりする)



ということで、
僕の発声リズムは音節中心であり、
拍(モーラ)中心ではない。
そういう人が作ったのが、カタナ式配列だということだね。

(以下カタナ式カテゴリの話。
じゃあ関西弁で書けばええやん、と思いたいのだが、
日本語変換機構IMEは、関西弁に非対応である。
最近は精度が多少上がったけど、
まあうまいこと変換して暮れへん。←こうなる
帯に短し襷に長し。

逆に、モーラ単位の話者は、
新下駄配列が一番オススメ。
1モーラ1打という素晴らしいコンセプトに僕はしびれた。
一方カタナ式は、一音節を左右2アルペジオずつ以内で打つ、
というコンセプトの配列(多少例外あり)です)



音楽が流行らないのは、
メロ先のファッションが廃れ、
詞先の詞がファッションのガワを被れなくなった、
二重の制作的問題と、
流通が物理大量生産から、ネット時代に移行したことの、
流通的問題の、
ふたつの問題が絡んでいるような気がする。


ことばの話でした。
特に結論はない。
俺の音痴は、原理上治らなくて、
標準語で歌えばなんとかなるかも、ぐらいか。
しかし魂は標準語にはこもらず…(以下ループ)
posted by おおおかとしひこ at 10:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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