音節と拍(モーラ)の違いを詳しく調べていてわかったこと。
日本語の奥底の話。
僕はネイティブは関西弁だが、
関西弁は日本語の中でも特殊で、
声調言語に属するらしい。
先に結論を言っておくと、
僕が歌に苦手意識があるのは、
「歌のリズムは拍で作られているのに、
音節単位でものごとを考えている」
からだとわかった、という話だ。
その理由として、
「関西弁は声調(同じ母音でもアクセントや高低で変える)言語であり、
拍よりも音節の声調を重視する」と考えられる。
声調言語の代表格である中国語では、
特に広東語が声調が豊富だが(八声)、
広東語で歌うとき、
メロディーに乗せたときに高低が歌詞に合わないとき、
なんと歌詞の高低に合わせてメロディーを変えることがあるらしい。
メロディー優先ではなく、
歌詞(の声調)優先になるのだと。
(逆に広東語作詞者は、メロディーに合うように、
北京語を広東語にうまく翻訳する能力が必要らしい。
それでもうまく行かないときメロディーをいじるんだって)
だから同じ楽曲でも、
北京語と広東語の2バージョンがあって、
両者はメロディーが微妙に異なることがあるそうだ。
なるほど。
僕は音痴だと思っていたのは、
声調言語である歌詞を正しく発音しようとして、
メロディーを曲げている現象のことを言っていたのか!
これまでの議論から、
僕はガワよりも中身を重視する癖があることはわかると思う。
つまり、歌においてもメロディーより歌詞であると。
だから、歌詞の為に広東語歌のようにメロディーを曲げてしまい、
結果音程が外れているのか。
関西弁話者は、じゃあ全員そうしているのか?
少なくとも、ベタベタの関西弁話者のおっさんやおばはんは、
カラオケが大分下手だった記憶がある。
若者は標準語とバイリンガルであることが多く、
それゆえ音痴でなかったような記憶がある。
僕は関西弁愛が、バイリンガルより強いのかも知れない。
音痴という現象は、
声調の正しさ>音程の正しさのことかも知れない。
音程を取るのが上手い人は、
歌詞の声調を無視して、
単なる一音をある音程で出せる人、
ということになるね。
関東弁話者や東北弁話者は、
関西弁ほど声調がきつくないから、
歌が上手い確率が高そうだ。
(九州や沖縄などのさらに声調のキツそうな話者については、
あまり付き合いがないので分からない)
JPOPはほとんどメロ先で、
音程が声調に合っていない。
だから僕は嫌いなのだと思う。
逆に歌謡曲や演歌は詞先だから、
声調を崩さないメロディーが多く、
僕は歌いやすく気持ちも乗せやすい。
(シンガーソングライターのニューミュージックは、
歌いやすい人と歌いにくい人がいる)
なるほど、そういう違いがあったのか。
JPOPは歌詞ではなくファッションだ。
私はこういう世界を素敵だと思う、という服の見せびらかしである。
歌謡曲や演歌は主張である。
私はこのようなストーリーや気持ちを、
メロディーに乗せて永遠にここに刻むという意志である。
歌謡曲の流行とは、
ファッションと歌詞の融合が、
うまく大量生産時代にマッチしたのだろうね。
声調言語とはつまり、
言語が既にメロディーを持っているということだ。
メロディーのキツイ、
フランス語はシャンソンに、
広東語は香港ブルースに、
関西弁は河内音頭や吉本音楽や大阪ブルースに、
独特のジャンルを築いているようだ。
さて、音節と拍の話。
僕はリズムを取るのも苦手だ。
関西弁の声調は、音節を単位としている。
「なんでやねん」は、
「なん/で/や/ねん」の4音節であり、
「な/ん/で/や/ね/ん」の6拍(モーラ)だ。
関西弁の独特のニュアンス
(浜ちゃんのツッコミのねじれるようなアクセントを思いだそう)は、
「なん」が単位であり、「な」「ん」と二つに分けない。
(ついでに言うと、「でや」も一音節に近いよね。
つまりネイティブの「なんでやねん」は3音節に近い)
だから僕は、音節が言葉のリズムだ。
で、歌のリズムって、拍なんですって。
(勿論例外はある)
ああ、だから僕はリズム感がないのですね。
声調と音節。
フラット調子の音程付けと拍。
関西弁は東京中心の音楽と、相性が悪いのだね。
(一方やしきたかじんや円広志などは歌いやすい。
声調が整っているからだろう。
他にも歌いやすい曲だなあと調べたら関西出身のアーティストだったりする)
ということで、
僕の発声リズムは音節中心であり、
拍(モーラ)中心ではない。
そういう人が作ったのが、カタナ式配列だということだね。
(以下カタナ式カテゴリの話。
じゃあ関西弁で書けばええやん、と思いたいのだが、
日本語変換機構IMEは、関西弁に非対応である。
最近は精度が多少上がったけど、
まあうまいこと変換して暮れへん。←こうなる
帯に短し襷に長し。
逆に、モーラ単位の話者は、
新下駄配列が一番オススメ。
1モーラ1打という素晴らしいコンセプトに僕はしびれた。
一方カタナ式は、一音節を左右2アルペジオずつ以内で打つ、
というコンセプトの配列(多少例外あり)です)
音楽が流行らないのは、
メロ先のファッションが廃れ、
詞先の詞がファッションのガワを被れなくなった、
二重の制作的問題と、
流通が物理大量生産から、ネット時代に移行したことの、
流通的問題の、
ふたつの問題が絡んでいるような気がする。
ことばの話でした。
特に結論はない。
俺の音痴は、原理上治らなくて、
標準語で歌えばなんとかなるかも、ぐらいか。
しかし魂は標準語にはこもらず…(以下ループ)
2017年07月20日
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