2017年07月21日

目論見が外れる

展開を書くのが難しいのは、
「それしたら、あれがある」
という発想に至らないことではないだろうか。


多くの人は、
主人公が目的を持ち、行動を始めるところ、
すなわち第一ターニングポイントまでは書けると思う。
(それも書けなかったら…がんばれ)
それが上手下手とか、感情移入出来る出来ないとか、
面白い面白くないとかは、とりあえず置いといて、
書けないか書けるかといえば、
まあ書けると思うのだ。

しかしそこからの展開部は本当に難しい。
ここで「書けなくなる」ことはほんとに多い。
「何をしていいか分からなくなる」ことがとても多い。

それはざっくり言うと、想像力が足りないからなのだ。
書く前からの妄想を十分にしたつもりでも、
まだまだ足りていないから、困るのである。
足りてないのに見切り発車したことが、
書けなくなることの原因だと、僕は考えている。

じゃあ妄想しよう。

目的を持ち、
実現のために行動を始めた主人公のその後。


映画は一人ではない。
人は一人ではないのと同じように。
だから、「他人との関わり」が必ずある。
これを妄想するといい。
誰と、何がある?

主人公は、普段ならしないことをしはじめたはずだ。
(その、普段ならしないことをしたらどうなるか、
を描くのが物語の本質といってもいい)
だから、経験することは、
すべてはじめてのことである。

主人公は経験していないがあなたが経験したことを、
そこに折り込むのはわりと簡単かもしれない。
問題は、あなたが経験していないことを、
どう妄想するかだ。

たとえば、はじめて○○したときのこと、
を思い出しながら、
間接的に使える何かを探せばいい。

はじめて○○するときは、
まず全部成功することはない。
失敗ばかりである。

ハッピーエンドの物語とは、
成功するのはラストだけだと思ったほうがいい。
だって成功したところで話が終わりだからだ。
ということは、
それまでは失敗続きなのである。


つまり、展開とは失敗を描くことだ。


目的のために行動を始めたら、
失敗する。
しかし動機が強い(前にある果実、後ろにある追いたてられる理由)ため、
他の方法を、思いつくか試してみるしかない。
つまり、あがく。

展開とは、すなわち、失敗とあがきを描くことだ。


はじめて○○するときは、目論見どおりにいかない。
○○に慣れていないからだ。

目論見を立てて始めたのが第一ターニングポイントだとしたら、
それ以降は失敗と立ち直りとあがきばかりというわけだ。
勿論、失敗ばかりだと退屈になるから、
成功に見えることもあったりして起伏があるといい。
しかしそれは真の成功ではなく見せかけの成功だ。
成功だと思ったら△△があって…などのように、
結局は失敗だったりする。

極端な振幅の方が話は面白くなるから、
成功直前まで行ったのに、
最悪の失敗になってしまった、
なんてどん底になる、
というパターンはよく見かける。落差だ。
序盤でやってもいいし、後半でやってもいい。
前半でやるとハードルが上がりすぎるから、
後半にやるのがよくやる手だ。


目論見どおりにはいかない。
これを面白く興味深く描くことが、展開だ、
とここでは断言してみよう。



目論見どおりにいかない、ということをもう少し考えてみる。

原因のひとつは無知だ。
勿論、はじめて○○するのだから、
無知が前提なのである。
どれだけ事前に調べたって、
人生はやってみるまで分からないものだ。
事前に予想もしていなかったことが、必ず起こるのだ。
(それが物語だ)

たとえば最近では、
僕はカタナ式をテンキー横使いに落としこむために、
AutoHotKeyなるスクリプト言語でプログラムを作っていた。
でもウィンドウズのNumlockキーの仕様のことや、
00キーがどうやって動いているかとか、
メーカーによってテンキーの配置やスキャンコードが違うなんて、
事前に知りもしなかった。
すぐできるやろ、という目論見は外れ、
一ヶ月以上ああでもないこうでもないという試行錯誤を重ねた。


あれ、こうすれば出来るんちゃうの、
え、そんなことあんの、そんなん知らんやん、
じゃあこれならどうや、それもあかんの、そんなことあんのか、
そんなん聞いてないわ、
もうやめようかな、でもどうしてもやりたいな、
の繰り返しだ。

リアルでこうなのだから、
物語もこうなのである。
勿論、もっと面白いようにならなくてはならないが。


これは一人でやる場合だけど、
世界は一人ではない。

必ず誰かにぶち当たる。

はじめて○○しようとして、
知らない世界で行動を始めたのだから、
そこにいる誰かに必ず会う。
そこで摩擦が起こる。
表面上仲良くなっても、何かはくすぶる。
すなわち、コンフリクトだ。

展開とは、その摩擦や抵抗を受けながら、
失敗とあがきと立ち直りと、
見せかけの成功と、
思いつきと試しと、それから失敗と、無知を、
描くことだと言ってよい。

協力者がいることもある。
反対者がいることもある。
止める者もいる。
中止させに来る者もいる。
妨害してくる者もいる。
ライバルもいる。
理解者もいる。
無理解者もいる。
最初は○○だったのに、途中で△△になる人もいる。
(その転向はターニングポイントだね)
それらは、増えたり減ったりする。

その人々も、単なるそこにいるNPCではなく、
主人公とは別の目的を持った人間だ。
目的の齟齬や競合や部分一致があるだろう。

彼らとの摩擦や対立やなにやらを、
コンフリクトという。
物語とはコンフリクトだ。

つまり、
目論見どおりにうまくいかなくて、
邪魔されたり衝突されたり、
協力したり裏切りがあったり、
殺されたり殺したり、
仲直りしたり出し抜いたり逃亡したり、
失敗しながら、成功したと思ったら無知による失敗をし、
どうにかして、
成功に導く大逆転を描くことが、
展開を描くこと、
といってもよい。



主人公は目的のために行動を始めた。
ゴールの真の成功の前には、
こういうことがあるな、
と妄想を豊かにしたまえ。

想像だけで難しいなら、やはり取材だね。
そのジャンルの場所へ行ってみたり、
そのジャンルの人に話を聞くと、
自分の無知に出会うことが出来る。
その無知は主人公の無知に等しい。

「それはそうなっていたのか」
と知ることが、外れた目論見を建て直し、
成功への架け橋になる。
(そしてその目論見もまた外れる)

部屋でゴロゴロしていては、知り得ないことである。


旅をする。
物理的な旅ばかりではなく、新しい世界に飛び込むことが旅だとしよう。
物語は旅である。
その行程は、すべて目論見通りに行かないことである。
人生にパックツアーはない。
posted by おおおかとしひこ at 11:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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