何かを強調しておきたい。
深彫りしたい。
鮮烈な記憶に残したい。
強調したい部分を増量することは、
誰でも出来る素人の方法だ。
技のある人は減量を使う。
増量は、誰でも出来るし誰もがやる。
文字にたとえれば、
そこだけフォントを大きくするとか、
太くするとか、赤文字にするとか、光らせるとか、
動かすとかだ。
あるいは描写を増やすのも増量だ。
事細かに描写したり、多方面から見たり、深く議論すれば、
そのことについての情報量が相対的に増量されて、
全体のなかで強調され、印象に残るだろう。
映像で言えば、カットを細かく割ったり、
スローモーションにしたり、ピンスポを当てればいい。
減量は、その逆のテクニックである。
減量には二つあって、
周囲のものを減量する方法と、それそのものだけを減量する方法。
周囲のものを減量する、という方法論は、
知ってはいても実戦で使える人は少ない。
人混みの中で、とある人だけ目立たせたいとき、どうする?
その人を巨大な人にする、ピンスポを当てる、
「←注目」みたいなタグをつける、
などは、増量の方法論だ。
減量の方法論は、他の人をピンポケにし、
その人だけを目立たせるような方法のことである。
更に極端にしてみよう。
周囲の人混みを、0にするとよい。
渋谷のスクランブル交差点で、
その人が孤独を感じるならば、
周囲の人をピンポケにするという方法論でもよいし、
周りに人が一人もいない、という極端な表現をしてもいい。
さらに極端には、大草原にその人一人を立たせてもいい。
表現とは、そのようなことである。
これも言いたい、あれも言いたい、となって、
結局全体がとっちらかることは、とてもよくあることだ。
こういうときは、どれが一番大事なのかを決める。
それを増量するのではなく、
他を減量する。
あるいは、0にする。
そうすると、強調したいところが目立つ。
目立つと印象に残り、
印象に残ることをメインだと認識でき、
それ以外はサブだと認識できる。
そうすると、強調とそれ以外の構造を理解できる。
あれも言いたいこれも言いたいというときは、
巣にいる何匹もの小鳥が、
餌をくれとピーチクパーチク言っている状態だ。
一匹だけ強調したいならば、
その一匹の言うことだけを聞かせて、
他を黙らせてやるといい。
それが、印象に残すということである。
もうひとつの減量は、
それだけを減量する方法だ。
やかましいカット割りの中で、
ワンカットだけ無音のカットがあると、
それが印象に残るようなことだ。
いつもはやかましい奴が今日いなくて、
その人が気になる、なんてのはよくあるやり方だよね。
一つだけ黒で塗りつぶされていたら、それが気になる。
そういう感じである。
バンドでベースやドラムを選ぶやつは、多分そういう感性をしていると思う。
ギターやボーカルを選ぶやつは、増量による強調型だね。
どちらが優れているわけではない。
どちらも使えるということを言いたいのだ。
ギターとボーカルとドラムとベースを重ねて大音量にしてもいいし、
ドラムのハイハットだけのソロにしてもいいのだ。
素人が増量ばかりで、
玄人が減量、というわけではない。
素人は増量しか使えなくて、
玄人は増量と減量を使い分けて、的確に使える、
ということを言いたい。
大体、僕はラストに短くまとめることで、
記事の趣旨を強調することをよくやっている。
短い一行、というのは減量である。
キャッチコピーとかCMというのは、
減量による凝縮の芸術だ。
凝縮することでより豊かになる芸術だ。
ところが最近ただ少ないだけだったり、
ただ増量しまくっていたりの、
詰まらないものばかりでうんざりする。
(僕の家にもうテレビはないので、
仕事上作品集を見たりするときにまとめ見する)
あなたは、
増量と減量を使い分けて、的確に使えるか?
たとえば、ワンカットだけ無音にする、
という演出は、ドラマ「風魔の小次郎」では、
一回しか使われていない。
(小次郎が武蔵に一撃を見舞う、勝負の決定打)
強調は一回だけ。
これも減量法である。
2017年07月23日
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