結局、画質向上のせいで、作品の質が下がった、
というのが僕の結論だ。
たしかHD導入時に、
「キレイにクッキリ写って、
隅々まで見れる!」なんて謳い文句があったかと思う。
そのときに僕は思ったものだ。
「色々写りすぎたら、マズイだろ」と。
たとえば。
高画質になると、女優の肌荒れがバレバレになる。
グラビア写真なんてPhotoshop使ってないのはない。
CMや広告写真においては修正がデフォルトで、
事務所の修正チェックが段取りとしてあるくらいだ。
それも赤字を入れてきて具体的に修正しなきゃいけない事務所だってある。
女優だけじゃない。劣化を恐れる俳優たちもだ。
本人はどっちでもいいと思っていても、
事務所が気を使うことになっている。
美術セット。
本物っぽく作らないと、アラが見えやすい。
昔は床はベニヤにペンキ塗りで誤魔化すことも多かった。
足音でばれるから、靴の裏にはガムテで消音していたものだ。
そんなことできなくなった。
ベニヤはベニヤとして見えてしまう。
つまりちょっとした美術セットを作れなくなり、
作るなら超本格でないと出来なくなる。
それは、部屋のシチュエーションとか、庭のシチュエーションとか、
廊下のシチュエーションとか、
ちょっとした部分がロケーションになるということ。
ロケならリアルかというとそうではなくて、
その場所のリアルな文脈と、話の中の文脈が合わないときのほうが多い。
高画質は、そこまで写ってしまうので。
で、そういう文脈の場所が見つかるまで探すか、
すでに見つかった場所を、別の文脈へ加工する
(半セット状態)はめになる。
つまり、コストが余計にかかるわけだ。
で。
コストがかかるなら、やめようということになる。
こうして、ワンセットしか組まない、
どこへも行かない、詰まらないドラマが生まれる。
で、詰まらなくて視聴率が下がり、
また予算が下がるという、負のループ中である。
高画質の欠点は、「見立ての消失」だ。
あるものを別のものに見立てるのが、芝居の本質である。
その人は役者であることを知ってるし、
そこで起こっていることを嘘だと知っているが、
そこでやっていることは本当だと見立てるのが芝居だ。
高画質になればなるほど、
見立てが機能しなくなる。
そのリアルな部分が全部写っていて、
そのリアルな部分を除去しきれないからである。
HD画質のAVは、タトゥー消しすら目立って、萎えるよね。
一応新人フレッシュ女優が、
意を決して出演!という「見立て」のはずなのにね。
何も知らないほうが夢を見れる。
色々ばれてると、夢も萎える。
リアリティーの文脈に引っ張られ、
見立てが効力を失う。
だからフィクションの力は、
高画質化で、弱体化したと僕は考えている。
映像に写っていることが、
リアリティーだと勘違いする人も増えた。
リアルな文脈に、カメラ一台が入ってるだけだと。
スマホカメラなどの発達で、そう思うようになった。
しかしたとえばAVは、ハメ撮りですらライティングして、マイクを仕込み、
マルチカメラを置いている。
女優はメイクされ、スタイリストに服を着させられている。
決してリアルな文脈ではない。
カメラマンが撮る絵が、素人がスマホで撮る絵よりいいのは、
カメラがいいのもあるけれど、
カメラ以外の機材をフレーム外に置いてあるからである。
つまり、プロの撮る絵は、フィクションなのだ。
いつからか、「これはCM上の演出です」なんて注意書が増えてきた。
クレーム対策なのだろうけれど、
「フィクションはリアルじゃないので」と、
どうして返さないのか、意味がわからない。
映像は架空であり、ドキュメントではない。
でもいつからか、映像はリアルだと勘違いしている。
テレビの出来た当時の大昔なら、
悪役の人が町で石を投げられた、
なんて笑い話があった。
テレビは作り物なのにね、と、つい最近まで言っていた。
ところが、高画質になって、
またその昔に戻った気がする。
つまり、映像リテラシーが、高画質化で下がった。
送り手の苦労は上がった。
受け手のリテラシーは下がった。
数字重視のくせに視聴率は振るわず、
効果は落ちて予算も下がっている。
つまりここから先は、不幸しかない。
送り手の苦労が減り、
受け手のリテラシーが上がり、
効果が上がるにはどうすればいいだろう?
僕はひとつの回答を企画として出しているのだが、
なかなかどこも引っ掛かってくれない。
まあ愚痴はいいや。
高画質化は、我々を幸せにしたか?
ゲームはファミコンスーファミのほうが断然面白かった。
クソゲー込みでね。
2017年07月24日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック