心霊写真の合成事件。
鑑定家の言い訳「合成に心霊が宿る」がツボ。
すごいなこの人。わかってるわー。
どういうことか。
物語性とは、
「実は良く分かってないところ」に宿るのだと僕は考えている。
幽霊や宇宙人は、「実はよく分かってないところ」だから面白い。
幽霊は統合失調症の幻覚であるとか、
知的生命体は存在しえないとか、
もしわかってしまったら、面白くもなんともない。
むかし光の性質が分からなくて、
光を伝播する物質がないから、
「エーテル」という物質を仮に考えたことがある。
この世はエーテルに満たされていて、光はそこを伝達するという仮説だ。
しかしもし宇宙空間にエーテルが満たされているならば、
地球の公転運動に摩擦が生じる筈で、
つまり地球の進行方向とうしろでは、エーテルの密度が違うはずである。
測定の結果、前と後ろに光の進行具合に差がないことが分かった。
考えられることはふたつ。
エーテルはどの物質とも干渉しない幽霊のような物質。
または、エーテルは存在しない。
つまり、エーテルとは架空の存在に過ぎなかった。
科学の発展の途中には、
こうしたゴーストが紛れ込むことがある。
架空の物質を想定し、
それが矛盾しないストーリーを作れるか、
ということを試すわけだ。
エーテルという物語は、
この世に目に見えない物質が満たされていて、
それを光が媒質にするというストーリーだったわけだ。
そうすればそのエーテルを取り出して儲けたり、
エーテルを生成したり、溶かすような物質を探すこともできたわけだ。
(おそらくこれを基にしたSFもあるだろう)
ちなみに中世の錬金術では、このエーテルを材料にしているものも、
たくさんあったりする。
つまり、エーテルのもたらすストーリーに、
錬金術というストーリーが乗っかったわけだ。
それは存在しない。
しかし、それをもとに、
想像豊かなストーリーを構築することはできる。
なぜなら、人は「分らないところ」に想像を働かせる生き物だからだ。
近世の実験や観測で、
エーテルは実在しないことになった。
光は真空中を唯一媒質とする現象、
ということで現在は説明されている。
しかし、真空中にもエネルギーがあったり、
ダークマターを仮定せざるをえなかったり、
エーテルというゴーストは、また科学に復活している気配すらあるよね。
人は、分らないところに想像を働かせる生き物である。
心霊写真の例に戻れば、
二重露光やフィルム巻き取りミスや、
レンズのごみや、シミュラクラ現象が、
ほとんどの心霊写真の原因だった。
それは写真というテクノロジーが、「分らない」ため、
そこに
「幽霊がいて、肉眼には見えないが、写真には写ることがある」
という物語が張り付いたのだ。
それが心霊写真という物語性だ。
だからそこから発展して、
「恨みが強いから呪われる」
「お祓いしないと」
「先祖霊だから安心して」
なんて物語も派生するのである。
しかしデジタル写真になって、
そういうテクノロジーへの不信がなくなり、
すべてがクリアになってしまった。
だから心霊写真という物語性は失われてしまった。
デジタル現象に、恨みつらみが写ることはないと。
だから、また「分らない」ものを持ってきた。
それが「合成写真」だ。
我々のような映像のプロでない限り、
合成がどうやって行われているか、分からない。
つまり、合成はほとんどの人にとっては、
未知のものである。
だから、「合成には心霊写真の念がこもりやすい」
という、新たな物語性が発生するのだ。
いやあ、人間ってとても面白いね。
僕は大爆笑したし、うまい、と思ったよ。
エーテル。幽霊。宇宙人。あの子の心を占いで知る。
これらはすべて「分らないもの」を、
どうにかして「分るもの」で説明しようとしていることである。
そして、解明されてしまっては、
その物語性は失われてしまう。
エーテルがないと分かって、錬金術もなくなってしまった。
前記事のことでいえば、
高画質になってしまったせいで、
見えなかった部分まで見えてしまい、
「分らないところ」がなくなってしまったのだ。
逆に。
私たちの書くべき物語は、
「分らないところ」をベースに、
豊かに想像するべきである。
もし我々が中世に生きていたら、
錬金術や賢者の石をベースに物語を作っていただろうことを、
想像すること。
私たちの分からないことは何か。
分らなくて、想像を豊かにしてしまうものは何か。
ちょっと前はアイドルがそうだったかもしれないが、
その幻想は枕営業やらAVデビューやらで崩されていく。
女の子の気持ち、なんてポーズで、
結局ま〜んの欲望に、我々が喰われているだけだという現実を、
我々は知ってしまったようなものだ。
その前はプロレス最強論という幻想があったが、
UWFや総合格闘技がそれをつぶしてしまったね。
相撲最強説がまじめにあったのに、
曙の参戦でそのベールもはがれてしまった。
さて。
ファンタジーなんかに逃げても面白くない。
今、「分らないこと」は、なんだろう。
意外とネットの仕組みとかAIとかの、身近なことか。
それとも、社会が今までなぜうまく行っていたか、ということか。
そういうことに、まだまだ「分らないこと」が眠っているような気がする。
もちろん、量子力学や十次元のことや、癌細胞や進化論のことでもいい。
物語はゴーストだ。
存在するかしないか分からないことへ、
想像をたくましくして、
そこに架空の因果関係をつくることだ。
インチキとリアリティーの狭間を狙う。
だから面白いのだ。
2017年07月24日
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