2017年07月27日

サービス業の本質

僕はサービス業に就いたことがない。
だからサービス業の本質について、わかっている訳ではない。
しかしよく批判として聞くのは、
「これ、見た人の気持ちを考えている?」
というやつ。

提供する人とされる人がいる限り、それはサービスである、
そう思って以下に考えてみよう。


僕の好きなサービスと、嫌いなサービスの話をする。
僕の好きな、焼肉でたとえてみる。

僕の好きな焼肉屋と嫌いな焼肉屋の差はなにか。

嫌いな焼肉屋は、肉の部位を知らないバイトがやっていたりするところ。
ハラミを頼んだのに、カルビを持ってくるのは論外だ。
しかも「ハラミです」とコールまでしやがる。
ちゃうのくらい、見たら分るやろ。
「ハラミです、いや、違いますね、これカルビだわ。
すいません、間違えました」
ならば、好きな焼肉屋である。
間違いは誰でもする。
しかし、カルビとハラミを、見てまだ間違えるのは、
焼肉屋ではない。

僕の好きな焼肉屋は、肉が好きな焼肉屋である。
肉のどこをどうすれば旨いか、分っていて好きな焼肉屋である。
何故なら、僕は肉が好きだからだ。

つまり、僕の好きな焼肉屋は、
肉を食べることが好きな焼肉屋であり、
僕の嫌いな焼肉屋は、
肉を食べることに興味がない焼肉屋だ。

ハラミを食べるときの気分は、
カルビほど脂がほしくないときで、
カルビを食べたいときの気分は、。
がっつり脂と肉をほおばりたいときだ。
それをたがえて注文しているわけだから、
その気分の差が部位の差になることを理解していない限り、
ハラミとカルビの違いなど、永久にわからないだろう。


あなたは何を売っているのか。
その何を知っているのか。

少なくとも、
電気屋の店員なら、メーカーの違いとか、
効率の違いとか、これは便利でこれはイマイチ、
などについて知っているべきであり、
車の販売店のディーラーなら、
加速性の違いや、ボディの違いや、
内装のなにかについて、
知っていないと売ることなどできないだろう。
肉屋も同じで、肉のなんたるか、
旨さの違いなどを知っていないと売ることもできない。

電気屋の店員は、家電が好きでいてほしい。
車屋の店員は、車が好きでいてほしい。
焼肉屋の店員は、肉が好きでいてほしい。
家電を使う身として、
車に乗る身として、
焼肉を食べる身として、だ。

そうでない人から売られても、
僕は意味がない。

詳しい人から、そのなんたるかを講釈してほしい。
そのことに詳しくなりたい。
だから買うのだ。


僕の嫌いなサービスは、
だから、何も知らずに売っている、
他人行儀なやつだ。
マナーが丁寧で、言葉遣いが丁寧で、
うやうやしく、なんでも言うことを聞きますよ、
というのはどうでもいい。
そんな態度なんかどうでもいい。
それを知ってるのか、ということだ。

風俗の店長は、その店の風俗嬢と全員やっていてほしい。
自分でおススメ出来ないものを、私に売らないでほしい。

私は、その売り手のオススメの理由を、信用するしかないのだから。

僕はそれがサービスだと思っている。


ところが、
世の中はそうでもないらしい。
だいぶ前にカフェでベテランの営業が若手の営業を説教してる場に、
出くわしたことがあるんだけど、
その時聞いて面白かったのは、
「いい商品が売れるのは当然だ。営業の仕事は、
売れなさそうな商品を、どれだけ買わせるかだ」
というやつ。
つまり、
笑顔でニコニコして、マナーも最高で、
さわやかな営業マンが、丁寧な応対で、
やさしく話し相手になってくれる商品は、
すべて売れないものなのである。


サービスとはなんだろう。
僕は、サービス業についたことないから分からない。

しかしまずい肉は食いたくない。
旨い肉を、それが大好きな店で喰いたい。



で、これはなんの話をしているかというと、
ストーリーの話であった。
「見る人の気持ちを考えてる?」
なんて批判はよくあることである。
それは、
「独りよがりで、乗れない」ということを言っているわけだ。
「見る人」の気持ち、と一般化しているふりをしながら、
「私の気持ちを考えてくれなかった」と批判しているわけだ。

独りよがりかどうかを、自分でチェックする術はないと、
僕は思う。
表現とは、独りよがりの極みでなければならない。
気を使って、
自分がそうだと思わないことをしても、
そこに魂は入らない。
ニコニコした営業マンになっても、
それは売れない。

それよりも、
旨い部位を知っている焼肉屋のように、
「これはこういう風に食べると旨いんですよ。
ほら。俺もこれが大好きで、いやあたまらんなあ」
となることが、ほんとのサービスだと思っている。


「見る人のことを考えろ」
なんて、出来ない営業の真似をしてはならない。
それじゃ、ダメなサービス、間違ったサービスをすることになる。
親切にしたほうが分かりやすいとか、
世間一般の価値観を入れたほうが入りやすいとか、
受ける題材を入れた方が受け入れられるとか、
そういうのは、
全部間違ったサービスである。
分かりやすいことが、親切か。

それは、こぎれいなスーツを着て、笑顔で、
ということにすぎない。

それより欲しいほんとうのサービスとは、
「その面白さを、一緒に楽しんでくれること」
ではないかな。

じゃあ、その、肉の旨さに当たる部分は何?
それを考えろ。
あなたのストーリーは、いったいなにが面白い?
なにが、価値のあること?
なにを、一緒に楽しめる?

スーツを着ることばかり考える、
間違ったサービス業になってはいけない。
スーツを着てなくても、
肉の旨さを語れる営業マンになれ。




CMは世間に対してサービスするのではなく、
金を出すクライアント(スポンサー)に対するサービス業になっている。
それはほんとうのサービスだろうか。

映画も、世間に対するサービス業ではなく、
金を出す製作委員会に対するサービス業になっている。
なり下がっているといってもよい。

だからスーツでさわやかな、
中身のないサービスが横行してるんじゃない?
posted by おおおかとしひこ at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック