ビフォーとアフターの話、つづき。
リライトのときには、
常にビフォーとアフターを意識するべきだ。
アフター前提でビフォーを直すのは間違いだ。
観客は常にすべてのシーンは初見である。
スピード感についてもそうだ。
ストーリーというものは、
「徐々にテンポがあがっていく」ものである。
何故かは知らない。
太鼓とバチを渡せば、
ドン、ドン、ドン、と一定のリズムを刻んでいるうちに、
いつしか速くなって行く。
ドンドンドンドンドンドン。
よーっ。ドン。
それがリズムというものだ。
物語はエイトビートでもツービートでもワルツでもない。
一定の拍を刻むメトロノームはない。
♪=130とかもない。
一定のリズムではなく、速くなる。
和太鼓である。
正確にいうと、リズムは速くなる癖に、
時間の進みは遅くなる。
クライマックスに来るまで、
作品内の時間で数ヶ月かけても、
クライマックスは数分以内のことを、
30分かけて描いたりする。
私たちの脳内クロックが上がる。
時計の進みはゆっくりになる。
それは何故か。
危機が最大だからだ。
映画とは、この脳内クロックのコントロールに他ならない。
さて本題。
アフターだと、後半のスピード感の記憶がありがちで、
前半部分のスピード感を忘れがちだということ。
つまり、
一回書いたあとにリライトするとき、
後半のテンポ感でリライトしようとして、
前半部分をバッサバッサ切ってしまい、
切り刻まれた前半になり、
入りにくい作品になる、
ということ。
前半のテンポはゆっくりのはずである。
なにも知らない初見の人を、
徐々に世界に浸らせる助走から始めるべきである。
そこから、ターニングポイントでテンポが加速していくはずだ。
そして脳内クロックが上がり、
危機が増え、
クライマックスに向けてスピード感がついていくはず。
アフターのスピード感と、
ビフォーのスピード感は違う。
高速道路から降りたときに、
周りの車がゆっくりに見えてしまう。
それは、錯覚である。
前半は、下道のスピード感から始めなければいけない。
どこかで加速して高速道路になり、
最後はサーキットになればいい。
そのテンポ、スピード感を意識して、
今このあたり、をコントロールしなければならない。
リライトが下手な人は、
つまり、このアフター前提でビフォーを直してしまう人だ。
だからいつまでたってもうまくいかないし、
第一稿のほうがよかった、なんてなってしまうのだ。
第一稿のときは、初見のスピード感で書いてたからね。
2017年07月28日
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