ん?ここは脚本論ではなかったっけ?
体力作りの話?
違う違う。
手を作る話をしてみよう。
以前、
「実際に出来上がっている脚本を手に入れ、
その全部の字を実際に書いてみる」
というトレーニングを紹介した。
その発展形。
つまり、
「書けない」というのは、
書いたことがないからである。
じゃあ、
書いたことがあるということにする、
トレーニング。
展開を書くのが下手な人。
展開部分を書き写してみよう。
オープニングが下手な人。
オープニングを書き写してみよう。
第一ターニングポイントが苦手な人。
第一ターニングポイントを書き写してみよう。
台詞劇が苦手な人は、台詞劇を書き写してみよう。
悲しい場面が苦手な人は、悲しい場面を書き写してみよう。
笑いの場面が苦手な人は、笑いの場面を書き写してみよう。
そういうこと。
絵画ですら模写があるのに、
どうして脚本に模写がないんだ?
それは、「思ったことがただある」という意識が強いからかも知れない。
書くことは物理だ。思ったことが文字になる装置はない。
文字にすることは、手を使う実労働である。
(手書きだろうが文字うちだろうが)
その物理を経験してない人は、体験しておくといい。
たとえば漫画家なら、
左向きの顔はしょっちゅうかいてるが、
右向きの顔は苦手なことが多い。
それを克服するには模写をする。
何回もやることで手と脳を作っていく。
これは、脚本も同じじゃないかと思ったのだ。
そもそも最初から最後まで書けない人は、
パートによって書くことが違うことを、
おそらく経験してない。
だから新しい局面にくると、
前と同じことしか物理的に出来ないから、
物理的に書けなくなってしまう。
クライマックスを一度も書いたことない人は、
クライマックスを模写してみればいいのに、
しないから、うまく書けない。
デッサンの意味は、
そこに何があるかを手で確認する作業だったりする。
別れの場面、出会いの場面、
裏切りの場面、雨の場面、立ち直る場面、
うまいこと思いついて大逆転する場面、
告白して成功する場面。
うまい落ちと前ふり。
そんなことを書いたことがなくて、書けないなら、
物理で模写してみればいいのに。
4万8000字を書いたことがないなら、
物理的に書いてみればいいのに。
模写に適した脚本が、そのへんに転がっていないのは、
脚本的に大問題だ。
とりあえず僕の脚本は作品置き場カテゴリにあるし、
風魔の一部の脚本は風魔カテゴリにおいてあるので、
模写してみたければしてみてもいい。
少なくとも、それだけの手と脳がなくてはならないことが、
模写してみれば分かると思うんだ。
もし漫画のストーリーを考えたいなら、
ネームを模写してみればいい。
小説のプロットを考えたいなら、
そのプロットを模写してみればいい。
(模写出来るものが転がっていないのは、問題だけど)
一本だけじゃなくて、何本もだ。
そうすると手が出来る。
走れる体がないとサッカーは出来ない。
書ける手がないと脚本は書けない。
素人は、
ただ書くだけなら簡単だろと書く体力を舐めている。
実際1万字書くのに、
どれだけ手や肩や目が痛くなるかは、
肉体的負担として知っておくといいよ。
走り込んだりするのと同様、
まず10万字書いてもへこたれない手の内を作っておく。
実はかなりレベル高いですよ。
大体この脚本論の記事は、
2000から3000字ぐらい。
1万字って相当肉体を酷使するよ。
手紙、書いたことある?
物理的な手紙。
たった便箋2枚でも、相当かかるよね。
脚本は48000字、原稿用紙120枚。
考える前に体力仕事だってことも、
分かっておくといいよ。
書くことが屁でもないようにならないと、
そもそも書くことを一生の仕事には出来ないんだよ。
考えることと仕上がりを、唯一結びつける肉体労働だからね。
万年筆だろうが青ボールペンだろうが鉛筆だろうが、
パソコンだろうがポメラだろうが構わない。
まず「書くシステムと手」を作ろう。
左手で書くことは出来ない。
右手でしか書けない。
(左ききの人は逆にして読んでくれ)
その右手は、その酷使にそもそも耐えられる?
意外と出来ないって知っとくのをオススメする。
俳句の17文字ですら、手と脳が出来てないと出来ないよ。
2017年07月30日
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