2017年07月31日

目的への感情移入を見失ったとき

前記事の続き。

目的の達成は、ラストに取っておきなさい。
それこそが主人公が待ち望んでいたことであり、
観客が待ち望むことでもある。

まれによくあるのが、
ストーリーが一段落したときに、
その目的達成への感情移入を見失ってしまうことだ。


感情移入は、観客が見続ける大切な動機である。
それがないと、ストーリーの行く末に興味が持てない。
何をやってたってどうでもいいやとなってしまう。

それと同時に感情移入は、
作者の書き続ける大切な動機でもある。
主人公に感情移入してないと、
主人公がどうなろうがどうでもよくなって、
続きを書く気がしなくなるのである。


これは書けない病のなかでも、
わりとポピュラーな現象ではないかと思う。

せっかく一幕で感情移入に成功しても、
そのあと何かひとつ位エピソードをやったあたりで、
なんだか感情移入がどうでもよくなって来ることが、
とてもよくある。
目的が明確で、焦点がはっきりしていても、
急にどうでもよくなる。
その無気力は、
これが原因ではないかと考える。


さて、
どうすればいいのかね。


簡単なのは、
もう一度主人公に情熱ある視線を向ける何かを、
見いだすことではないだろうか?

それが簡単じゃないから困るんだけど。


架空の空間に主人公をよびだし、インタビューしてみよう。
主人公に「私はどうしても○○したいのだ!」
と言わせてみよう。
「なんで?」と聞いてみよう。
「○○だからだ!」と力強く答えられれば大丈夫。
それでストーリーを牽引できる。
今問題なのは、
「えっと…ああ、うん…なんでだろ」
となっているからではないか。


その気持ちが「どうしても○○したい!」に燃え上がる、
その燃料が不足しているのである。

じゃあ、足せばいいのさ。


これまでの軌跡を思い出し、
更なる試練を与えて発奮させるという手がひとつ。
もうひとつは、これまでになかった主人公の情報を新しく作る、
という方法。

その目的を持ったことは、
そもそもまだ私たちの知らない、
何かがあるからだろ?
と問うてみて、新しくエピソードを引き出す(創作する)のだ。

長編漫画には「過去編」と称するシリーズがたまにある。
知られざる○○の過去…なんてやるやつだ。
これは何のためにあるかというと、
目的遂行の、感情移入のエネルギーを追加しているのである。

じゃあ回想を挟めばいい?
何かをきっかけにふっと思い出す?
それはあからさまだ。
一番簡単なのは、
他のキャラクターに、
「お前がそこまで○○の成功に拘る理由が分からない」
と言わせるといい。
そうすると、時系列は現在のまま、
主人公がまだ誰も知らない新しい理由を話し出すかも知れないね。

嵐が過ぎる一夜、語る夜があったりしてもいい。
少しの間昔話が出来るエアポケットを作ればいい。

あからさまにそのシーンに入るのがアレなら、
直前のシーンにそれに関係する何かを置いといて、
それを見た主人公が尋常でない反応をして、
あれはどういうことだったんだ、と誰かに聞かせればいい。


もしその追加燃料のエピソードが強力で、
気に入ったら、
それは一幕に入れたほうがいいだろうか?

難しい質問だ。

そんなに推進力になるのなら、
最初から動機にしとけばいいやん、
という合理はわかる。

ケースバイケースだけど、
僕の経験から言うと悪手のような気がする。

理由は最近書いている、ビフォーとアフターの関係かな。
今アフターの視点で一幕を見ていて、
ビフォーの視点で一幕を見れていない、
という可能性が高い、というのが経験則。

何にも知らない状態からそれを知って、
果たして初稿ほど惹き付けられるか、
と、ビフォーの視点から挿入を検討するべきだ。

初稿の感情移入に比べて、
よりどうなるかを分析してから、
新しい燃料の序盤投入の決断をすべきである。

悪手だと思うのは、
ビフォーの視点になかなかなれない、
という経験談ゆえ。

そうでないほどフラットな視点に立てるなら、
序盤の再検討はあるかもね。



その追加燃料は、今すぐ投入しなくていいかも知れない。
少しあとやだいぶあとに投入して、
物語をうまく加速するポイントまで待つという手もある。

作者の情熱さえ取り戻すことが出来れば、
いかようにも演出が可能になるはすだから。



バガボンドの農業編に戻れば、
伊織も植物を育てることも、
当初の目的「いっぱしの武士になること」以上の情熱を、
(作者が)傾けられなかったということなのだ。

どうせなら、「どうして武士になりたかったのか」
を、父親を絡めたり又吉を絡めたりして、
回想編にでも入れば、
まるごと農業編を省略できたのではないかな。

むしろ、
今の武蔵が当初以上の情熱を持てるのは、
対小次郎戦以外ないのではないか。
井上雄彦は、その長考に入ってしまったんだね。

吉岡一門の直後に小次郎と邂逅していても、
よかったんじゃね?
(そこで一回敗北させとくとか)
そうすれば、農業やりながらでも小次郎の太刀筋を破る練習をしたりして、
モチベーションが切れなかったんじゃないかなあ。

さらに最善手は、
農業編になってもなお、
感情移入の情熱を失わないほどの、
第一話を描いておくことだった。
しかしそれは手遅れというものだけど。

(いかにファーストシーン、ファーストエピソード、
第一幕が重要か、改めて引き締まるよね)



もっといい方法があるなら、
おしえてください。
僕の今のところのやり方は、
これくらいしか編み出していない。
posted by おおおかとしひこ at 23:50| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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