この真意はなにか。
この人の価値はなにか。
一体なにをするつもりか。
この作品のテーマは、真の価値は。
それが揺れているほうが面白い。
注意するべきは、
「不定」と「揺れている」は違うということ。
「曖昧模糊でよく見えてこない」が「不定」、
「AなのかBなのかどっちなのか、
はたまたCか、はっきりとしたもののなかで、
賛否両論でありどっちでもあるが、
いずれどれかに落ち着く」が「揺れている」ということ。
どの間でも揺れていないのが、不定(不明でもいい)、
と言い換えてもいい。
あの人の意図はどういうことだろう、
Aを言いたいのだろうか、
しかしそれならあんな言い方はしない、
きっとBが真意だ、
いやだったらBって言うんじゃないか、
だったらなんのためにああ言ったんだ?
AなのBなの?
というのが、上手な揺れている状態だ。
分かりやすいのは告白への返事か。
これが不定なのは、「ああ、はい」と答えられるようなもの。
曖昧なら人は興味を無くす。
どっちなんだよ!と強く興味をひかれている状態が、
理想の揺れている状態。
下手くそな人は、
ダブルミーニングをやろうとするとき、
曖昧にしてごまかすことがある。
「どっちとか言えない」ことで逃げを打つ。
しかしそれはいずれ興味を失う。
「AB双方に解釈できるんだけど」がいい。
微笑んで「いいえ」と言うようなかんじ。
テンパって「ただちに影響はない」と言うかんじ。
下手くそな人は、つい「曖昧な笑顔」でお茶を濁す。
お茶を濁さないこと。
二色を出すこと。
さて本題。
価値が定まらない、どっちとも言える状態が、
一番盛り上がる。
使えるのか、ゴミなのか、
敵か、味方か、
やれるのか、やれないのか。
使えると分かったら安定してしまう。
ゴミと分かっても評価が覆らない。
敵か味方かはっきりしたらそれに相応しい態度を取る。
やれたら興味なくなるし、
やれなかったらハイ次、である。
どっちか揺れていると、人は立ち止まる。
その真価を見極めようとして、
感覚器を広げ、考え始める。
たぶんその時が一番面白い。
評価が定まる前。そこが一番面白い。
どっちもある。しかしどっちだ。
そんな感じを作品に散りばめると、熱くなるよ。
最悪なのは、「どちらともいえない」。
これは冷え冷えでグレーになってゆく。
ダブルミーニングとか、深淵なこと表現しようとして、つい「曖昧」を使いがちですけど、悪手ですよね。場面場面で、どっちかにしっかり振って読み手を揺さぶるべきなのに、ついびびって中途半端な形になってしまう。
なかなか自分では気づきにくいところなので、すごく身になる記事でした。ありがとうございました。
ダブルミーニングなんてのは、使わないほうがいいくらい。
「AとBがかかってんすよ」って作者が思ってても、
AもBも説明がなければ意味がないのです。
ダジャレレベルなら構わんけどね。
実際、揺さぶるのはとても難しい。
意図的にやっても振幅が足りなかったりしますね。